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震災ボランティア装備品

持っていった装備品

私が今回準備した装備品について、どこでいくらで購入し、実際役に立ったかどうかを書いておきます。

用品 金額 商品名 購入場所 役立ち度 備考
ヘルメット 2,980 帯電ヘルメット コーナン 大手ホームセンターのコーナンではヘルメットが品薄な中、この商品が唯一1個だけ残っていたので購入しました。帯電仕様なので少し割高なようですが、通常の製品は1,000円台で販売しているようです。
落下物の危険があるような場所での作業ではなかったので、帽子の着用だけでヘルメットは使用しませんでした。ただ、重機が入る現場での作業もあり、そこでは頭上をユンボのハサミが行きかっていたので、ここではヘルメットをかぶっておけばよかったと後で思いました。
マスク 128 EDLP作業マスク コーナン マスクは10個入ってこの価格なので大変安いものです。作業するまでわかりませんでしたが、マスクは消耗品です。場合によっては午前の作業と午後の作業で1枚ずつ使うなど結構消費します。ボランティア仲間や、現地の人からも「マスク持ってる?」とねだられることもあり、多めに持っていると重宝します。
ゴーグル 98 セーフティゴーグル コーナン 藪の中での作業や、乾燥したわらを運び出したりするときに目を保護するのにとても重要ですが、廉価なものを買ったせいか、汗ですぐに曇りびちょびちょになってしまい使い物になりませんでした。これから購入される方は、安物で済まさずに湿気対策を考えた製品がよいと思います。
軍手 1,330 スーパーハイゲージ防護手袋(ケブラー90%使用) アマゾンモール 金属やガラスで手を切らないようにとケブラー製の軍手をはめて、その上からゴム手袋をしました。実際に手を切るような危険はありませんでしたが、気持ちの上での安心感はありました。1双でこの値段なので高価ではあります。
タオル 不明 ありもの 汗や濡れた手を拭くなど毎日取り替えて使いました。首にまいておけば日焼け対策にもなります。
ゴム手袋 598 指先強化水産用ニトリル手袋 コーナン ゴム手袋は必須アイテムであり、ボランティアのほとんどが着用していました。特にこの製品のように鋭利で硬いものを扱うことを前提に作られているものはとても丈夫で、金物やガラス片の混じった残土でも躊躇なく、ガバガバと手ですくい出せました。
高いものではないので、複数用意する方がよいでしょう。
ゴム長靴 2,280 安全カラー長靴 コーナン ゴム手袋同様の必須アイテム。この製品は重量物でつま先をつぶさないように鉄板が入っています。いわゆる安全靴の長靴版です。多少重くなるので、作業場所により普通の長靴の方がよいかもしれません。
カッパ 1,880 スーパーレインスーツ コーナン 雨に降られなかったのと、ぬかるんだ場所での作業がなかったのでほとんど使用せず。初日に、どろよけのためにGパンの上からにパンツを着用したのですが、汗でずくずくになりました。今回は使用しなかったけれども、雨のことを考えるとぜひ持って行った方がよいでしょう。
帽子 不明 ありもの 日差しを防ぐ、埃をよける、頭部を守る、といったことから必須アイテムですね。
十徳ナイフ 2,980 VERTEX20徳ツールナイフ アマゾンプレミアモール キャンプになるかもしれないと思い用意しましたが、宿泊場所があったのでほとんど使用せず。唯一、現場でビニールハウスのロープや地中に埋まった電線を切ったりするのに役立ちました。
LEDトーチ 1,000 18灯 フィッシャーマン(TOC五反田) × 宿泊場所があったので使用せず。ただ、皆が雑魚寝している中でトイレに行くときなどは真っ暗な中を人を踏まずに歩かなければならないので、そうした時には便利かも。(懐中電灯で十分でしょうが)
水筒 1,280 ビガーボトル1L ステンレス真空ボトル コーナン × ペットボトルの飲料水が容易に入手できたので不要でした。
折りたたみ傘 不明 ありもの × 雨に降られなかったので使用せず
ウェストポーチ 不明 ありもの 貴重品、応急処置の医薬品、カメラなどを入れておくのに必要でした。
トレッキングシューズ 5,990 GT.HAWKINS HL30002 ABC-MARG(TOC五反田) 作業はゴム長靴で行なったので不要でした。単にふだん履きの靴として使用したのみ。
アルコールティッシュ 不明 ありもの × 現場には洗剤、石鹸、アルコールが完備されていたので使用せず。
ボディシート TOPVALUメンズボディシート 風呂に入れない日はこれで体を拭きました。
寝袋 1,480 スタンダードシュラフ 75cm x 200cm コーナン 安い商品だったのですが全く問題なく毎晩使用できました。
750 ウェストクッション ドン・キホーテ 空気を入れて膨らませるクッション。枕として重宝しました。
虫よけスプレー 不明 ありもの × 季節がらまだ虫よけは必要ありませんでした。
目薬 不明 ありもの 1度だけ使用。
うがい薬 不明 ありもの 1度だけ使用。
差し入れ 東京ばな奈 現場のボランティアの方々への差し入れ。不要かなと思いましたが一応持っていくと、予想外に喜ばれました。見知らぬ現場の人たちとの人間関係作りに一役買うかも。
キャリーカート 990 ドン・キホーテ 荷物の重量は相当なものだったので、車ではなく電車と徒歩で移動する際にはこれがないと荷物が運べません。
ボランティア保険 1,400 天災Cプラン 社会福祉協議会 今回のような、自発的なボランティア活動に適用されるかどうかわかりませんが、金額が安いので入っておいた方がよいと思いました。補償期間は加入日に関係なく4/1~翌年の3/31となります。

持っていけばよかったもの

  • 作業着
    ジーパンで行きましたが、作業着の方が機能的だったと思います。
  • 日焼け止め
    まだいらないと思って持っていきませんでしたが、帰ってきてから顔の皮が少々剥けました。
  • 工具類(モンキースパナ・ナイフ・ニッパー)
    壊れたビニールハウスの撤去には必須でした。

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2011年5月19日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:雑記

震災ボランティアで東松島(鹿妻)へ行く

東京から東松島の鹿妻までの道のりを、これから同地方へ行く人の参考になればと思いUPします。
・目的地:宮城県東松島市矢本字鹿石前
・移動日:2011年5月3日

一番困ったのは現地までの足です。車がないので公共の交通機関で鹿妻までどう行くかです。幸い東北新幹線は再開しているので仙台までは簡単に行けます。しかし、鹿妻駅を通る仙石線が不通なので代わりは宮城交通さんが出している臨時バスしかありません。この臨時バスですが、石巻まで行く路線は1日24本出ていますが、私の行きたい鹿妻へ行くには鹿妻駅から1つ先の「矢本」駅へ寄ってくれるバスに乗らなければなりません。これが日に6本しかないのです。9時7分のバスを逃すと次は13時37分です。そこで9時7分のバスに間に合うように東京を6時40分発、仙台に8時47分着の「こまち115号」を予約しました。

8時47分に仙台に着けば、バスの発車までは20分あるので十分時間はありますが、宮城交通さんのHPを見るとチケットの予約は受けておらず、並んだ順に乗れるということでした。同じバスに乗ろうとしている乗客が多いとどうなるのか、新幹線も停電でよく止まるということなので定刻につくかどうかという不安を抱えながら、まずは行ってからということで新幹線に乗り込みました。

たった2時間で仙台に着きました。快適な新幹線の旅はあっという間に感じられます。急いでバス停へ向かいますが、臨時バスのせいか乗り場がわかりにくく、事前に調べたバス停の配置とはどうも違っているようで歩道橋を2回も上がったり降りたりしたあげく人に聞いてようやく33番乗り場にたどり着きます。すると嫌な予感的中。乗り場にはそこだけ長蛇の列。最後尾に行き、そこに並んでいる人に「これは石巻行きのバスの列ですか?」と聞くと、「私はそう思って並んでいます」との心もとない返事。ほどなく私の後ろに並ぼうとしている人から同じように質問されたので、「私も前の人に聞いて石巻行きということで並んでいます」と答えました。列の長さはとても1台のバスで乗れる人数ではありません。

※バス停へ行くには新幹線出口の2階から1階に下りてはいけません。そのまま西口2階の歩道橋を渡って目的のバス停へ降りてください。

時間どおりに矢本経由石巻行きのバスが来ました。大きな荷物はバスの下のトランクに、乗客はバスの中に吸い込まれていきますが、行列の半分も消化できません。
そうしてバスは私の並んでいる行列を残してあっさり出発、その後に増発が来るかと思っていてもその気配はありません。行列の先頭へ行き、そこで待っている人に聞いてみると、「私も1時間以上待っていて、2本バスをやり過ごしています」との返事、こりゃだめだ。

自分の場所に戻り、まわりの人にその話をすると、私の1つ置いて後ろに並んでいた男性が、「参ったなー、こりゃタクシーしかないかな?」とつぶやいたので、「どちら方面までですか」と聞きました。その男性と話してみると、私の目的地の鹿妻にある真壁病院とその男性の目的地(ご自身の実家)はごく近くであるとわかり、タクシーに相乗りしました。この男性、地元の出身ということで途中あちこちを親切に説明してくれました。途中で破壊された家屋やがれきの山が散見されましたが、観光地の松島は意外に被害が少なく、観光客の姿も多くみられ別世界のようでした。同乗の男性によると、松島の群島が津波を防いでくれたのだろうということでした。

ガイド付きのタクシーで日本三景の一つである松島を見ながら、津波の襲った海岸沿いを走るという経験は得難いものですが、目的地は思いのほか遠く所要時間1時間余り、タクシー代が1万2千円もかかりました。後にして思えば、仙石線が東塩釜まで通っているので、東塩釜からタクシーにすればよかったかも知れません。(東塩釜でタクシーがつかまるかどうかわわかりませんが)

真壁病院の横で二人ともタクシーを降りました。同乗の男性が「私の家はあそこです」と指差す向こうに2軒の家が見え、その右側が男性の実家だそうです。ほんの200メートルほどの距離で、偶然に驚きました。帰りは先発しているメンバーの車に同乗させてもらうので、帰りの足の心配はありません。

ボランティアの拠点らしき場所では、ドラム缶のたき火やキャンプ用のテーブルや椅子がおいてありましたが、あたりに人っ子ひとり見当たりません。時間は11時前、皆は作業に出ているのでしょう。プレハブ小屋のドアが開いていたので荷物だけ置かせてもらい、あたりを歩いて回ってみました。テレビで見るのと同じで、田んぼには車が漂着して道路わきにはがれきの山、塩水とわらが腐った異様なにおいが立ち込めています。

途中、自衛隊の多くの車両と隊員たちが集まっている場所を通り過ぎました。それらの車両には那覇とか白山とか書いてあり、全国から集まって混成チームで活動していることがわかります。おそらく行方不明者の捜索をしているのでしょう。それほど遠くまで歩くつもりはなかったのですが、畔道は崩れていたりがれきが積んであったりして通れないので、思いのほか大回りしてしまい、4~50分歩いてしまいました。通る列車もいない仙石線のレールは赤く錆びて、ところどころ土砂で埋まっています。ここをかつてのように復旧するのはいつになるのでしょうか。

12時近くになり真壁病院横へ戻ると、すでにメンバーが戻っており、ようやく合流することができました。午後からは酒屋さんの敷地を片づけに行くことになりました。

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2011年5月19日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:雑記

震災ボランティア参加 2

【2011年5月16日の朝礼でのスピーチより】

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先週に引き続き、震災ボランティアでの体験談です。

「地元の人々」

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ボランティアの拠点となっている真壁病院脇のキャンプで昼食を食べていると、すぐ隣の施設で避難生活をしているお婆さんがタッパを3つほど抱えてきて私に話しかけてきました。こちらの地方は方言が強いので正確には聞き取れませんでしたが、「お赤飯を炊いたので皆さんで食べてください、ご苦労様です」とおっしゃっていたようでした。ご自身は避難生活をしているにもかかわらず、我々に差し入れをしてくれたのです。お礼を言って、ボランティア仲間にそのことを告げて、赤飯、菜の花やオクラの和え物などをおいしくいただきました。

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2日目の現場である農家の庭の片づけは、現地の人たちと混じっての活動でした。休憩時間に何やら会話をしますが、やはり方言がきつくて半分くらいしかわかりません。夕方になって一人の現地の方が、「今日はハイヒールあっからよ」みたいなことを私におっしゃいました。何のことかな?と想像を巡らします。近所にそのようなキャバクラでもあって、一緒に行こうと誘われているのかなと思ったり(?)。しかし、よくよく聞くと、ふざけてハイヒールと言っていただけで、それは豚足(トンソク)のことでした。夜の酒のつまみにでもしてくれと、豚足を差し入れてくれたのです。

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ビニール袋に10個ほど入ったそれを受け取った私に、「1本が二つに割れるから20人分だ、塩で味付けしてあるからそのままいけるよ」と教えてくれました。キャンプに戻ると、早速いただいた豚足を配ります。どうも男性はその見た目で敬遠する人が多く、女性の方がトンソク好きな人が多いという傾向がありました。秋元社長がちょうどトン汁も作ってくれていたので、トン汁にトンソクを入れて食べる人もあり、ご厚意をありがたく皆で分け合いました。

 

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ボランティア活動拠点のキャンプ

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敷地の片づけ

 

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地元の方との会話は東北弁で聞き取りが難しいですが、新鮮な気分が得られます。私は今までこちらの地方へ来たことがなく、いわゆる東北弁がこれほど訛っているとは知りませんでした。東京に来ている東北出身の知人はいますが、彼らは本当のお国訛りで話すことはないのでしょう。東北弁は多少アクセントが違うくらいかなと思っていた私にとって、地元の方と話をする機会を得たことはとても良い経験でした。

「土砂に埋まった写真」

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3日目の現場はつぶれたビニールハウスがあったのでおそらく農地と思われます。ただ、私がかたづけた場所は衣類や本なども多く埋まっていたので、人家もあったのかもしれません。津波で運ばれた土砂で埋まってはいるけれども、そこには人々の生活があったという証がいろいろと出てきます。

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熊手で地面を引っ掻いてゴミを寄りわけていると、ときどき紙切れが見つかります。それらは老齢年金のお知らせのはがきだったり、名刺だったりしますが、色鮮やかなカラー写真が出てきたりもします。表面の砂を払うとそこには、私も家族で行ったことのある沖縄の水族館で見知らぬ女性が笑顔で水槽を背景にして写っておりました。写真の主が無事であることを祈ります。こうした写真類は保管してしかるべき場所に引き渡します。

 

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熊手で土をひとかきずつ

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作業の邪魔となる車両を移動

 

 

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がれきの中に子供のおもちゃやベビー用品などを見つけると、「これと似たようなおもちゃは我が家にもあったな」と、どうしても身近に感じてしまい、我が子と照らし合わせて重い気分になります。それと同時に、家族全員健康で住む家もある、今の自分の生活のありがたさを感じます。

「津波」

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以前、私は津波というものがこれほど破壊力を持っているとは知りませんでした。大雨が降ると床上浸水したりしますが、それの大規模なもの程度にしか考えていませんでした。濡れたら乾かせばいいし畳を替えればまた住めるだろうくらいの感覚でした。大きな地震があるたびに発令される津波警報では、予想される津波の高さ30cmなどと伝えられます。30cm程度ならわざわざ警報を出すまでもなかろうと思っていました。海水浴に行ったって1mくらいの高さの波はあたりまえですから。しかし、2004年のスマトラ沖地震の時に津波の破壊力がようやく理解できました。

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今回津波に襲われた場所を見ると地表は多くの砂に覆われており、丁度潮干狩りの干潟のようです。これまでは普通に生活していた庭や田んぼが、突然砂浜になってしまったと考えてもらえればわかりやすいでしょう。そして表面は不気味にひび割れてからからに乾いて、嫌なにおいが立ち込めているわけです。

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大量の藁にも泣かされます。土とわらが混じって木や竹、家屋の柱などに絡みついているので、これを取り除くのは容易ではありません。昔の日本家屋では土とわらを混ぜて壁土を作るのですから、それだけ頑丈なわけです。藁は腐ると不快なにおいを発します。こうした土砂を人力でかき出さなければなりません。自分の家がこのような状況になり、だれも助けてくれないとしたら気力も体力も失せるでしょう。

 

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藁と土の絡みついた竹藪

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集められたがれき

 

「石巻港の惨状」

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最終日の夜、石巻港を見て回りました。ここはこれまで見てきた農地や宅地とはまた次元が違う惨状でした。人気のない街はがれきや焼け焦げて積み重なった車、破壊された家屋や工場がそのまま手つかずとなっており、恐ろしい光景を呈していました。夜ということもあり、その辺り一帯ははより一層悲惨で“壊死した街”という印象を受けました。港に近い学校では、鉄筋3階建ての立派な校舎が真っ黒に焼け焦げており、近くの病院も真っ暗で不気味な沈黙を守っています。

港には、沈んだか座礁した船を引き揚げるのでしょう、「日本サルベージ」と書かれた巨大なサルベージ船が停泊しておりました。破壊された街を見ていると、経験したことはないけれども戦争で空襲を受けた後の街はこんなだったろうなと考えます。ただ、その当時と違うのは今の日本は平和であり、世界中から支援を受けており、日本自体もこのような巨大なサルベージ船を即座に派遣するだけの国力を持っているということです。この国と国民はこの苦難から復興できる力を持っているはずだと感じました。

 

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石巻港の巨大サルベージ船

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石巻港近辺

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震災ボランティア参加 1

【2011年5月9日の朝礼でのスピーチより】

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5月3日から5日までの2泊3日で震災ボランティアに行ってきました。

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宮城県東松島市の鹿妻という地域で震災直後から活動している「児童養護施設支援の会」という組織があり、同会をサポートしている仕事仲間の秋元社長から声を掛けられて参加しました。

(立派な日本の人たち)

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今回のボランティア参加では、悲惨な震災被害の状況や復興に向けて努力している地元の人々、それを支える警察や自衛隊の活動などを実地に見るという貴重な体験をしましたが、自分にとってもっとも印象に残ったのはボランティアの人々の存在でした。

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児童養護施設支援の会は震災直後から数人規模で現地入りし、その時点では自治体側の体制もまだ整備されていなかったので、避難所の人々に対して直接ボランティア活動を展開し地元との信頼関係を地道に築き、今では東松島市から公民館などの施設を提供されるまでになっています。そして私が参加した5月の連休中は多い日で80人ものボランティアが集まったそうです。こうしたボランティアの多くは、会のHP、ブログやツイッターなどネット上で情報を得て自発的に集まってきています。

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関東だけでなく大阪や京都から車やバイクを飛ばして来る人がいます。一人で来る人、家族で来る人、有志の同級生数人で参加しに来た大学院生。そうした人たちが自分の自由になる時間をやりくりして1日だけ参加する人もいれば何日も泊り込んで参加する人、以前にご主人が参加されたので今度は奥さんが参加する、など色々です。

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男性、女性、独身者、家族持ち、若い学生さん、私のように少々年季の入った人、さまざまな人たちがボランティアとして集まってきます。特にお金を掛けた宣伝をしているわけでもないのに、ネットで情報を検索し、見ず知らずの組織が見ず知らずの土地でやっているボランティア活動に自発的に参加してくるのです。

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このような人たちは皆、無償で自分の時間と金と体力を使ってボランティアに参加し、活動中は見知らぬ同士がすぐに仲良くなり協力し合い、そして自分の役割を果たした後は、何も求めることなくめいめい帰っていきます。何と気持ちの良い人たちでしょう。

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震災の被害に会い、家族や家や職場を失いながらも立ち上がろうとしている人々をテレビニュースで見て、日本には何と偉い人たちが大勢いて、そうした人たちが特に脚光を浴びることもなくそれぞれの地方地方で黙々と生きていることか、と感動していました。今回は新たに、我が事ではないにもかかわらず人のために働こうという若い人たちが沢山いるということを知り、これまで若い世代に対して悲観的に感じていた自分の考えを改めなければと思うようになりました。

 

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ボランティアの皆さん(2011年5月4日)

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ボランティア仲間と

 

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相馬市長からの礼状

【2011年4月25日の朝礼でのスピーチより】

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先日、東北大震災で大きな被害を受けた相馬市から封書が届きました。

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相馬市には特に知り合いもいないし、何だろうと思って開けてみると、相馬市長からのお礼の手紙が入っていました。どうやら先日会社から送った義援金に対してのお礼のようです。この非常時に何と義理堅いことかと思いました。しかもハガキではなくわざわざ封書で、義援金を贈ってからわずか2週間ほどで届いた礼状。文面の最後には本物かどうかわかりませんが市長の署名もあります。

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大した金額を送ったわけでもないのにわざわざ市長から礼状が届く、東北人の義理堅さを感じました。

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日本赤十字に送ったのになぜ相馬市から礼状が届いたのかは不思議ですが、しばらく社内の目立つ所に掲示しておきます。

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自粛よりも日本を活気づけよう

【2011年4月4日の朝礼でのスピーチより】

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震災以来、日本が全国的に自粛ムードに包まれています。

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お祭りや花火大会など慶賀事が相次いで中止となっており、これは被災された方々のことを思えば飲んで騒いで浮かれている場合ではなく、少しでも痛みを分かち合おうということと、無駄な電力を使わず節約しようという思いやりの気持ちから発生していることは理解できますが、ここで別の懸念が出てきます。

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このような調子で自粛自粛と国全体が縮こまると、内需が落ち込み経済的に停滞してしまい、それが結局は被災地の復興の足を引っ張ることになるということを心配します。日本国民が一丸となって自粛するというのは、日本人の美徳でもあるかもしれませんが、いつもの右へならえの習性が現れているようにも思えます。

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大手企業は、このタイミングでテレビCMを流すことを躊躇していますが、「この非常時に浮かれたコマーシャルなどけしからん」という一部の意見を恐れてのことでしょう。日本人は、物言わぬ大多数の意向よりも、少数の先鋭的で強烈な非難を怖がります。

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東京電力の計画停電は当面は仕方のないことかもしれませんが、時間帯も構わずに節電節電というのにも違和感を覚えます。専門家によると、電力は需要がピークの時にブラックアウトが起きる可能性があるわけだから、需要が供給を大きく下回る夜間にまで節電するのは意味がないと言っております。私の母は、「うちも節電しくちゃ」ということでいつも点けておく階段の明かりを消すようにしたのですが、足元が暗くてよく見えず、足を滑らせて何段か滑り落ちて体をしたたかに打ったそうです。幸い怪我はありませんでしたが、このようなことで怪我をしてはそれこそ本末転倒です。

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「まわりがこう言っているから、皆がこうしているから」と、合理的な判断なしに付和雷同してしまう国民性が少し恐ろしいです。戦時中、燈火規制の中で明かりを点けていると隣近所から寄ってたかって非国民と攻撃されるのと似ているように感じます。竹やりでB29が落とせるわけがないということは合理的に考えれば至極当然ですが、集団でヒステリーになるとそのような判断もできなくなるのです。

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本当に被災地の復興を助け、日本全体に活力を取り戻すには、大いに飲んで食べて内需を拡大させることの方が、節電するよりも効果があるかもしれません。東北地方には農家や酪農家がたくさんいます。海岸沿いには多くの漁港があります。半導体関連の工場や自動車などの製造工場から生産される部品は、政界中のハイテク製品にとってなくてはならないものです。こうした産業が復興していく段階に至ったとき、もう数ヶ月か気かもしれませんが、そのときには私たち日本人は物を買わずに節約するのではなく、そうした産業に需要が生まれるように大いに物を買うべきでしょう。

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東北、北関東の被災地で作られた農産物やハイテク部品を使ったIT機器や自動車には、復興シールとかを貼って目印とし、そのシールが貼られた商品の購入には消費税を掛けないようにするなどして優遇すれば、地元は大いに助かるでしょう。

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しかし原発が収まったと仮定して、その後の復興に対して最も障害になるのが東京電力の計画停電です。夏の電力需要がピークに達するシーズンはあっという間に来てしまいます。政府はただちにサマータイム制とか企業の休日分散化など、具体的な対策を示す必要があります。しかしながら、どうもそのあたりの動きは鈍いように感じられてなりません。

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なにはともあれ、暗い顔でじっとして我慢するのではなく、元気を出して楽しく暮らし、大いに消費することが最も大切です。
もちろん、消費=浪費ではありません。この機会に、東北産の米や野菜をもっと食べるとか、三陸のうまい魚をつまみに東北・北関東の地酒を皆で飲もうというような、明るいムードを作り出していきたいものです。

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大震災と外国の反応

【2011年3月28日の朝礼でのスピーチより】

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今回の震災では、地震直後から諸外国より支援の申し出が相次ぎました。またその後の原発の機能停止、爆発などについては世界中が関心をもって注視しております。こうした大災害に当たり世界中から支援や激励をいただくというのは、物的な助けとなるのはもちろんながら、精神的にも日本は一人じゃない、世界が励ましてくれていると勇気づけられるものです。

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私自身、イタリアの知人からは、地震の翌日に早速お見舞いのメールが届きました。こちらは大丈夫だと伝えると数日後には、放射能の影響を心配するメールが来ました。
同様にサイパンの知人からもお見舞いのメールが来て、その中には、「いざという時にはサイパンの自宅に空いている部屋があるし、子どもたちの学校も探してあげるから、避難する時はぜひこちらへおいで」、という心温まる申し出が添えられておりました。この方からは、その後さらに同様のお誘いのメールをいただきました。実際に自分たちの家族が外国に逃げだすことはないと思いますが、このように言っていただけることはとてもありがたいことです。

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20日から23日まで韓国へ行ってきました。私にとって初めての韓国でしたが、今回の大震災について現地の日本を応援しようというムードに驚きました。
空港ではインフォーメーションの受付嬢が「がんばれ日本!」と書かれたたすきをかけているし、ソウルの繁華街には日本を応援する垂れ幕や看板が至る所に見られました。言葉がわからないので詳細は分かりませんでしたが、テレビでもキャンペーン広告をやっているようでした。

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普段はとかくイザコザの絶えないお隣の国、韓国ですが、いざという時には助けてあげようと一生懸命に応援してくれることは憶えておきたいものです。なんだか、口が悪くてけんかっ早いけれど、人の世話を焼かずにはいられない同じ長屋の住人のような感じがします。

会社から日本赤十字を通して義援金を送ります。

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