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ネクタイ

 【2011年7月25日の朝礼でのスピーチより】

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まだ本格的な暑さとなる前の5月の終わりごろ、商工会議所の分科会がありました。その場には大田支部会長はじめ東商の職員を含めて10名ほどのメンバーがいましたが、私を除いて全員ノーネクタイでした。私も出がけにネクタイはいらないかなと思いながらも、どちらかというとお堅い東商の集まりだから、自分だけノーネクタイだったら嫌だなと考えてしまったのですが、自分だけかえって浮いてしまう結果となりました。

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サマータイム導入もいいですが、暑がりの私としては例えば5月から8月はクールビズというルールを明確にしてほしいです。

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さて、日本ではこの数年かなりクールビズが浸透してきたようで、ネクタイ嫌いの私にはとてもありがたい状況です。そもそもネクタイやスーツを着るという習慣は北寄りの欧米諸国から発生しており、高温多湿な日本の夏には適していないと思います。

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先進国(G8)の首都の緯度を北から並べると次のようになり、やはり東京が一番南になります。

  •  ロシア(モスクワ) – 57.5579
  •  ドイツ( ベルリン)  - 52.52348
  • イギリス( ロンドン)  - 51.50015
  • フランス(パリ)  - 48.85656
  • カナダ(オタワ) - 45.42144
  • イタリア(ローマ) - 41.89547
  • アメリカ(ワシントンD. C.) - 38.88333
  • 日本国(東京) - 35.68581            

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ハワイではアロハシャツが正装であるといわれています。(都市伝説かもしれませんが)

沖縄でも夏はかりゆしファッションが正装として定着しているようです。

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日本には世界で活躍する有名服飾デザイナーがいるわけですから、日本発のビジネス服というものを考えてもらいたいものです。開襟シャツでも胸元がだらしなく見えないように工夫して「J(JapanのJ)シャツ」とかいう名前で世界に認知させることは、ユニクロが本気になれば簡単にできそうです。

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しかし、ノーネクタイの風潮はネクタイ業界には大きなダメージともなっています。2007年の国産、輸入合計の販売は4千万本だったのに対して、2010年は3千万本程度と落ち込んでいるそうです。(東商新聞 2011/7/20)業界では日本人のネクタイ離れを押しとどめようと、そのファッション製をアピールし、エコ製品を開発するなど色々な策を講じていますが、今年は震災による節電の影響もあり、ネクタイの出荷本数は昨年よりも落ち込むことでしょう。

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私の意見としては、これまでのトラディショナルなネクタイに固執するのではなく、例えば、ポケットチーフを一般に広め、夏場はこれをもってネクタイに替わる礼装として認めるというドレスコード(世論)を形成するなどの工夫をして欲しいと思います。

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休み

海の日のため、マンデースピーチはお休みです。

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2011年7月18日 | コメント/トラックバック(0) |

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大本営発表

【2011年7月11日の朝礼でのスピーチより】

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ビジネスニュース番組、WBSの「エネルギー再興 第2回原発コストは安いのか」を見て感じたことです。

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報道によると六ヶ所村の一人当たり村民所得は1363万円だそうです。これは全国平均の5倍です。番組ではテーマが別のポイントだったのか、さらりと流されたのでうっかりすると見逃してしまうデータでしたが、驚くほど高額です。

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もちろん多額の補助金があってのことでしょう。この金額は場所が青森ということを考慮するともっと価値の高いものになります。東京に住む生活コストと青森とでは大違いだからです。ネットで調べても六ヶ所村の不動産物件というのは見つかりませんでしたが、弘前では2LDKのマンションの家賃が6万円程度ということがわかりました。東京とは2倍以上の差があるわけです。

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生活コストが2倍違うと仮定すると所得は東京での約3,000万円に相当します。3,000万円というと、ちょっとした開業医でも最近はここまで行くのは難しい金額です。であるのに、村人全員の平均がこの金額です、このような地が日本にあるとはにわかには信じられません。ただし、ここでいう村民所得というのは個人所得ではなくて村全体の企業所得も含めた金額です。しかし、村には全戸にテレビ電話が引かれたり立派なコンサートホールがあったりと、何らかの形で住民に還元されているわけです。

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六ヶ所村の人口は約1万1000人で、村内の総生産額は3647億円。青森県内には、人口約30万人の青森市の総生産が1兆200億円、人口約10万人の八戸市が8900億円ということですから、六ヶ所村の数値が飛びぬけていることがわかります。ちなみに隣の野辺地町の一人当たり町民所得は214万円で六ヶ所村の1/6だそうです。(SAPIO 1022.8.3より)

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話は変わりますが、一般に情報の質というものを考えると、国、政府が発表する情報が1次情報、大手マスコミが2次情報、と捉えるのが一般的ですが、その一次情報が何らかの恣意によって偏向した内容を伝えるならば国民は正しい判断をすることができません。

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しかるに、平成22年の政府の「エネルギー基本計画」では発電コストとして、1KW/Hあたり石油が10.7円、石炭15.7円、原子力5.3円となっています。これだけを見ると、石油や天然ガスはロシアや中東の思惑で価格や供給が不安定となるので、多少のリスクはあっても原子力発電が自国に資源を持たない日本にとって唯一の選択肢と思ってしまうのが当然です。

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ところが番組の中では、こうした政府の発表に疑問を持った立命館大学の大島堅一教授が調査した結果、政府発表の原発コストには以下の2つが算出根拠に含まれていないことが明らかになったそうです。

 

・揚水発電のコスト

・自治体への補助金や原子力技術開発など年間4,000億円の費用

 

この教授の試算では

・水力:7.26(11.9)円

・火力:9.9(10.7)円

・原子力:12.23(5.3)円

※カッコ内は経産省の試算

 

しかもこの原子力発電のコストには使用済み核燃料の処理費用が入っていないし、今回の災害での保障費用ももちろん含まれていません。

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原発廃止の是非をここで言うつもりはありませんが、まずは正しい情報をベースにしないと議論ができません。この「エネルギー基本計画」を見ると、「安いんだからこれでいいだろう」という国民に対する子供だましな情報操作と感じます。

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マスコミも偏向した情報発信が批判されますが、マスコミ報道というのはあくまで営利企業による二次情報です。しかし肝心の国が発表する一次情報がこれでは、何をよりどころに議論するのかその立脚点がぐらついているのが現状です。

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意思決定のためにはコストとリスクのアセスメントが必要です。妥当な情報があって初めて自分たちが責任を負える判断ができるのです。もともとの情報が捻じ曲げられたものであるとき、それを信じて判断を下した国民は「だまされた」という被害者意識をもち、結局その判断をしたことを自分たちの責任として捕らえず、第三者のせいにしてしまいます。

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直近でよい例があります。民主党がマニュフェストを発表し、財政の無駄を排除すれば子供手当てくらいは簡単に捻出できるなどと吹聴して国民の支持を取り付けて政権交代を起こさせました。しかし、結果は「うっそぴょーん」というような軽い冗談だったようです。

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先の大戦では、敗色濃厚な戦局の中でも、「日本海軍・陸軍は向かうところ敵なし、今日も○×の戦闘で大いなる戦果をあげました」というような報道をしました。しかしそれはあくまで限定された地域での限定された都合の良い範囲での戦果報告でした。たとえば、ある海戦で大敗を喫したのにもかかわらず、「敵戦艦1隻撃沈、2隻大破、それに対するわが軍の被害は巡洋艦1隻小破」などと報じたのです。それは、その海戦での特定の海域に絞った情報だったりします。全体としては大負けだったのに、たまたま敵にダメージを与えた戦闘だけを大きく取り上げていたにすぎないのです。これはオリンピックやワールドカップの報道にも共通していますね。聞いているほうが恥ずかしくなります。

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これまで国民は大本営発表などに象徴されるように軍部指導部にだまされてきたという被害者意識を持っています。それが戦後ずっとトラウマとなっています。「やっぱりアメリカは自由の国だった。国民は被害者だ。戦前は暗黒の時代だった」というような被害者意識と持つことになってしまいました。このような被害者意識を持つということは、自分たちが被害者であるという大義名分があるということ。そして過去の判断が誤った情報により誘導されたもので、自分たちに非はなかったという言い訳につながっています。

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先日収監されたホリエモンですが、罪状は誤った決算報告、経営内容の報告をしたために多くの株主を欺いたというものです。本当にそうなのかどうかはよくわかりませんが、会社側が自分たちに都合の良い情報だけを発信したことにより、多くの投資家たちにその判断を誤らせたというのが損をした投資家たちの大義名分です。しかし、これらの投資家の多くは仮に会社が正しい経営内容を報告していたとしてもその株を使って儲けようとしていたのではなかったでしょうか。

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この国では、報告する側もそれを受け止める側も、いまだに大本営発表の体質から脱却していないように感じます。

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新商品 3/3

【2011年7月4日の朝礼でのスピーチより】

【スマートフォン】

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私が2週間前からようやく使い始めたスマートフォン、たしかに素晴らしい機能と性能を持っていますが、これもかなり以前から似たようなものはありました。一番近いのはいわゆる電子手帳、PDA(Personal Data Assistance)というものがありました。SonyのClie(クリエ)、カシオのカシオペア、東芝のGenioなどといった製品がありました。あのAppleもNewtonという製品を出しましたが、商業的にはうまくいきませんでした。

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PDAのユーザは結構多くいたように思いますが、潮が引くように各社が撤退してしまい市場としてのポジションは携帯電話にとってかわられました。当時うちの会社でもPDA関連の仕事を多少やっていましたが、「このような情報端末に電話機能が付いたらいいのにな」と思っていたのは私だけではないはずです。

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他にもまだあります。

リニアモーターカーはようやく建設計画が現実のものとなりましたが、最初にリニアモーターカーが登場したのはいつだか知っていますか? 私が小学校3年の時、つまり1970年です、心ときめかせて見に行った大阪万博でその姿は一般に公開されていたのです。科学が万能と信じていた当時の私は、今すぐにでもリニアモーターカーが実用化されると信じていましたが、実用化のめどがつくまでその後40年もかかるとは想像できませんでした。

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クラウド技術は花盛りですが、10年ほど前まではこれからはASPの時代で、アプリは買うものではなく借りるものだなどとパラダイムシフトを謳っていました。今どきはASPをただ単にクラウドというトレンディーな言葉で言い換えているだけのサービスも多いように思います。しかし、ASPでもクラウドでも本当の実用まではまだ道半ばです。

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今回の原発問題で太陽光発電が脚光を浴びています。しかしその太陽電池は40年前から存在していました。私が小学生の時に親に買ってもらった電子回路キットのマイキット80には、3本足のトランジスタやコイルと一緒に太陽電池がくっついていました。

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私が中学1年生のころ、同級生の家に遊びに行ったある日のこと。エンジニアである彼の父親が、これからはテレビのブラウン管の代わりにLEDや液晶が使われるようになると話してくれました。当時はまだ白黒の液晶が電卓に使われ始めたばかりのころでしたから、私たちは半信半疑でそれを聞いたものです。当時は手のひらに載るテレビとか、壁掛けテレビというのはドラえもんに出てくる未来社会にしか存在しませんでした。

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EL(エレクトロルミネッセンス)というのはLEDよりも先進的な技術と思っている人が多いと思いますが、私が初めてELという言葉を知ったのは小学6年のころに読んだ科学雑誌で、そこでは未来の光として紹介されていました。

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このように、世の中でヒットした商品はある日突然現れたわけではなく、ずっと以前からその片鱗をうかがわせているものです。したがって、次の時代にどのようなものが現れてくるのか、それは今ある技術を検証していくとあるていど予測することも可能であり、それは「技術予測」という学問となっています。(私は大学院で学長の相磯秀雄先生から「技術予測」という講義を受講していました)

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このように、技術というものを長期的な視点でとらえると、小さな発見や技術革新が数十年後に大きく花開くことがあるのだとわかりますし、そのためには日々の研究開発がいかに大切かということがわかると思います。研究開発から実用化への道のりは林業のようなもので、種を植えてもそれが大木に育つのはその中のごくわずかであり、しかもそれを収穫することができるのは、種を植えた人たちの次の世代(あるいはさらにその次の世代)の人たちなのです。

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日本はたくさんの基礎研究を重ねて多くの種を育ててきましたが、ようやくそれが収穫の時をむかえた、つまりビジネスになるときに、あまりにもあっさりとよその人間(外国企業に)に美味しいところをさらっていかれているのではないかと歯がゆい思いをいたします。ベニスの商人並みにもっとえげつなく商売してもよいのではと思います。特にその種(たね)を自分自身が育てたものであればなおさらです。

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