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行き過ぎた安全管理 3/3

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昨日、二人の娘(8歳と6歳)とテレビを見ているとき、コマーシャルで「あなたも伝説のキャバ嬢になりましょう」などという文句が流れてきてビックリしました。どうも携帯ゲームの宣伝らしいのですが、私は思わず時計を見ました。するとまだ8時前でした。日曜日の8時前といえば家族団欒のゴールデンタイム、そんな時間に平気でこのようなコマーシャルを流すのは明らかに異常です。しかし、こんなことは法律で規制するようなものではありません。
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大人であれば、分別というものがあります。私が子供のころ、日曜の朝になるとテレビで怖そうなおじさんたちがやたらと世の中に対して怒っていたりして、頑固おやじがまた何か言ってるなと思ったものですが、今はそうしたご意見番というか、世の中のおかしな動きに対してガツンと言える影響力のある人がいなくなりましね。
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マスコミは厄介です。なにか規制っぽいことをお上が言うとすぐに言論の自由を侵害するなどと騒ぎたてますが、結局テレビで平気でこんなコマーシャルを流すのです。特に今は不景気でCMを契約してくれるクライアントが減っているので、何も言えなくなっているのかもしれません。
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このように、法で明確に縛らないと野放図にハメを外す、これは小学生のレベルです。小学生の頃、何かというと「そんな法律がどこにある?」、「いつ、誰が、何時何分何秒に言ったのか答えてみろ」などと言って好き放題やって、学校や教師から「これこれはやってはだめ」とルールを決められると、今度はそのルールを犯したクラスメートを「いーけないんだ、いけないんだ」といって吊るしあげる。挙句に、そのルールを拡大解釈して相手を困らせるための材料として使い始める、そんな経験が私の少年時代にもありました。
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しかし、今は大人たちがこの小学生のような態度でふるまっているようです。概して日本の大人が小学生返りをしているようです。その証拠に、パチンコのCMを見れば今の30代から50代くらいの世代をターゲットとした、昔懐かしいキャラクターのオンパレードです。ディズニーランドに行くと、いい年をした大人が変な被り物をかぶって嬉々として子供よりもはしゃいでいます。
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行き過ぎた規制を批判するつもりでこの話を始めたのですが、結局日本国民が大人になれないのであれば、こうしたどうしようもない規制を次から次へと繰り出すのも仕方のないことなのかと暗澹な気分になりました。

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休み

有給奨励日のため、朝礼(スピーチ)はありませんでした。

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行き過ぎた安全管理 2/3

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このような行き過ぎた規制、本来は我々の命を守るはずのルールが、意図せず我々自身の不利益となって跳ね返ってきてしまうという事例は何かを思い起こさせます。個人が特定できる情報を第三者に開示してはならないと解釈されている、あの「個人情報保護法」です。
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この法律というか、法律を取り巻く一つのいわゆるブームにより、学校ではクラスの名簿や同窓会名簿などを作ることを手控えるようになり、お役所や企業では自分たちがサボタージュするための言い訳として便利に利用しているのが実情です。
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たしかに郵便ポストに多くのDMが投函されたり、知らない業者からセールスの電話がかかってきたりするのは行き過ぎると不愉快ですが、場合によってはそれを利用することもあります。個人情報というのはどの程度重要なものなのか、個人情報を提供することによって得られる利便性を考えると、もしかするとそれほど重要ではないのかもしれません。
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実際、このような法律ができる前から個人情報はダダ漏れでした。私の父が亡くなったのは2002年ですが、その当時でも、父が亡くなって2日後には大手デパートや進物業者から葬儀用の香典返しなどのカタログが届いて、不気味に思ったものでした。子供が七五三を迎える時には写真館から、子どもが女の子なら桃の節句、男の子なら端午の節句にひな人形、五月人形のDMが来たという経験を持つ人も多いでしょう。いまさら個人情報を後生大事に守ってもそれほど大きな意味はないと思います。
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この法律の恩恵はどの程度あるのでしょうか。それにより失われている利便性にはどのようなものがあるのでしょうか。個人情報を漏らすなと規制をかけるよりも、そうした情報を悪用する者を厳しく取り締まる方が先だと思います。
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今の日本人は、どうもこれが法律だといわれると無条件に従う風潮があるように思えてなりません。本当に個人情報保護法の意味を理解している人はごくわずかだと思いますが、
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まだ写真機が日本に伝わって間もないころ、一般の人々の間では「写真機で自分の姿を撮影されると魂を抜かれる」などという迷信が巷間で取りざたされたそうです。これなど、今だからこそ馬鹿げたことだと笑い話になりますが、当時の人にとっては空恐ろしいことだったでしょう。
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それまでは、直接会うことでしか自分の姿を相手に情報として伝えることがなかったのに、一瞬にして自分の顔や姿かたちを寸分たがわず転写されて写真となり、それが他人の手に渡り、自分が見られることを意図しない第三者に閲覧されるのですから、現代人が個人情報の流出に対してアレルギーを感じるのと同じ恐怖を感じたからこそ、このようなうわさが流れたのでしょう。そう考えると、魂を抜かれると信じた昔の人々を笑うことはできません。
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現在の個人情報に対する腫れ物に触るような態度は、何か得体のしれない物に対する恐怖といったものでしょうか。昔、パソコンがまだ出始めたばかりの頃、コンピュータウィルスが家庭用のコンセントから(パソコンのAC電源を経由して)侵入してくると思っていた人もいたそうですが、実態のよくわからない物に対しては恐怖感が増幅するものです。
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日本の世の中の流れを見ていると、何か法で規制されていなければ極端に無節操な行動に出る半面、一旦法律などにより規制がかかると必要以上にそれを恐れて縮こまるという困った性質があるように思えます。

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行き過ぎた安全管理 1/3

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工事関係の仕事をしている知り合いから聞いた話です。
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その職場では、あるときから事故防止策を強化するために、たとえ作業場所が地上1メートルの高さであっても安全ベルトを必ず2本用いることを徹底したそうです。
そうした中、ある作業員がトラックの荷台に重量物を積み込む仕事をしていました。作業場所は地上から1メートルもない場所でしたが、彼は規則どおり安全ベルトを2本結びつけました。どこに?
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トラックの上に安全ベルトを結び付ける場所などあるのでしょうか。せいぜい荷台のふち(ゲート)くらいでしょうが、もちろんそんなところにつないだって意味はありません。そこで彼は、すでに積み込んだ荷物、それはおよそ高さ2メートルほどの木箱ですが、それの梱包ロープに結びつけたのです。この木箱の中には重量物がおさめられておりましたので、何となく簡単には動かない頑丈な場所だと思ったのでしょう。
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そして作業が終わり、いつものように安全ベルトを外すとトラックの荷台から下へ飛びおりました。ここで彼は大きな過ちを犯していました。それまでこのような作業では安全ベルトは1本しかかけていなかったのですが、今回の安全ルールの見直しにより安全ベルトを2本かけていたのです。しかし、彼はついいつもの癖で1本を外しただけでもう一本の安全ベルトがまだ荷台の上の木箱に結び付けられていることを忘れていたのです。
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元気に飛び降りた彼の体に結び付けられていたもう一本の安全ベルトがピーンと伸び切ったと思うと、荷台の上の重量物がそれに引っ張られてぐらりと傾きました。重い荷物でも横から引っ張られると簡単にバランスを崩します。運の悪いことにこの荷物はまだ輸送用の固定がしていなかったのです。結局彼は荷台の上から落ちてきた重量物に押しつぶされて亡くなってしまったそうです。
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現場でどのようないきさつがあってこのようなルールができたのかは知りませんが、トラックの荷台上での作業に果たして安全ベルト(命綱)が必要なのでしょうか。素人からは全く無用なルールに見えます。幼稚園に通う私の娘でも、児童公園に行くと2メートルくらいの高さのジャングルジムに平気でよじ登ります。もちろん、命綱はありません。この不幸な犠牲者は、行き過ぎた安全ルールと皮肉なことに命綱によって命を奪われたのです。
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人間には本来自己防衛能力があります。どの程度なら危険であるかという判断は、人によりまちまちでしょうが、自分ならこれくらいは大丈夫だという目安を持っているはずです。しかし、工事の現場ではなかなかそうした個人の判断にゆだねるということが難しくなります。人は間違いを犯しますし、同じ人間でも仕事に慣れてくると油断したり自己の能力を過信したりするので、そうしたことが事故の大きな要因となるので一定のルールはどうしても必要になります。
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酒を飲んだら車を運転してはいけないというのは、そのような最低限のルールの一例です。同じ1合の酒を飲んでも人により酔う程度は違うでしょうが、飲んだことにより素面のときより安全に運転するということは普通あり得ませんので、当然のルールです。しかし、トラックの荷台での作業にまで2本の安全ベルトを強要するのは行き過ぎではないでしょうか。もちろん、安全対策にやりすぎはないといえるかもしれませんが、このケースのようにそれが逆効果となって、人の命を奪うことになってしまっては本末転倒です。

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休み

電車が遅れたので朝礼は中止となりました。

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