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勤労感謝の日で休み

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しゃべれない大学生 1/2

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私は例年、大学生および高専の学生を対象としたある競技会の運営のお手伝いをしている。参加チームは30余り、海外の大学からも参加する国際大会である。先日もその競技会が開催された、その時の話。

2日間の大会が終了して表彰式へと移った。入賞した各チームの学生たちがステージ上に呼び出され、主催者側から表彰状や賞品を授与された。その際、壇上の学生にマイクが向けられ簡単な挨拶をしてもらうのだが、この話がどうにもお粗末である。

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聞いていた私は、てっきり留学生かと思ったほど日本語がたどたどしい。学生達の話の内容は、大体は受賞してうれしかったというようなことを言うのだが、それ以外の言葉がほとんど聞かれない。大会に向けての準備の大変さだとか、競技本番で思いもかけないアクシデントがあったとか、何かしら話すべきことはあると思うのだが、彼ら(彼女ら)は何を意識しているのか、ほとんどまともなスピーチができないのである。付け加えると、この競技に参加しているのは東大をはじめとした有名校の学生ばかりである。

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マイクを向けられると皆一様に緊張する。そしてお決まりの「受賞できてうれしいです」、あるいは「受賞できるなんてありえないと思っていました」、などというお決まりの一言はいうのだが、その次が出てこない。きっと頭が真っ白になっているのだろう。たまにちょっと気の利いた感じで話し始める学生もいるが、それもほんの束の間で、1フレーズ言い終わるとその後が続かなくなり沈黙、しばらく嫌な間があき本人も耐えられなくなり「以上です」と尻切れトンボになる。

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そうした彼らも学力は優秀で国際的に見ても他の国の学生に比して能力が劣っているわけではないと思う。きっと携帯メールでコメントを求めると、いろいろな面白い話をしてくれるのかもしれない。ついでに言うと、当日受付にいた私のところに小学生が何やら訴えに来た。あまりにも言葉が断片的で拙い話し方なので外国人かと思った。しかしよく話してみるとまぎれもない日本人、女性スタッフが親切に聞き出してみると、なにやら忘れ物をしたということを言いたかったらしい。家庭内でも単語だけで親と会話しているのではなかろうか。やばいぞ、日本。

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さて、なぜステージ上に立った学生が突然言語失調に陥るかというと、日頃からオフィシャルな場での受け答えや振る舞いを要求される機会が絶対的に不足しているからであろう。これは国際社会で活躍を期待される日本の若い人材としては、ゆゆしき問題だと思う。しかし基礎的な学力不足などとは違い改善することはさほど難しいことではないとも思う。つまりは教育の場で、もっとそうした場数を踏む訓練を課せばよいだけのことである。

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私が昨年卒業した社会人大学院では、学生がそれなりのキャリアを積んだビジネスパーソンが多かったので、講義中でも自発的にどんどん質問、発言し議論したので、教授たちも非常に喜んでいた。特に外部講師としてお出でいただいた、普段は他の大学で学部生を教えている教授からは、しきりにその積極性に感心なさっていた。そして、アメリカの大学ではもっとアグレッシブであり日本の一般大学生のあまりのパッシブな態度に将来を悲観しているといった話を複数の教授から伺い、私にも大いに思い当たることがある。

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私の意見としては、「日本の義務教育及び高校での教育の現場があまりにも閉塞的だから、パッシブな学生が生まれるのは当然の帰結である」というものである。

日本は永らく農耕民族であったせいか、集団と個人の違いが非常に意識される社会である。農村では一人あるいは一家族で自己完結的に存在することは不可能であった。モンゴルの遊牧民は1家族で羊を追いながら生活するのが普通だったし、中東の砂漠の民も同様であった。

しかし国土が狭い日本では勝手が違う。農繁期になればお互いに労働力を融通しあってこれをこなす必要がある。例えば藁葺き屋根のふき替えが必要なら、村中の人々が協力して一軒の家の屋根を葺いてくれる。だから「和」というものを非常に大切にしたのではないか。

その反面、集団から外れることは非常に恐ろしいことだった。他者の協力が得られないということは生存の問題に直結する。だから村八分にされることを極度に恐れるのだ。現代の都市部の生活であれば、他者に干渉されないということはそれなりに快適であるが、かつての農村での生活では衣食住すべての調達に支障をきたす。

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そんな背景から、人々はある集団(あるコミュニティ)に属することで安心感を得る。そして突出した行動をとって目立つことを嫌い、特定のリーダーが直接的に物事を決めるというよりは、昔からの慣習や寄り合いなどの阿吽の呼吸(つまり空気を読む)で進む方向を決めるのである。

彼らの、「集団に属している」という安心安泰な地位を保全する手っ取り早い方法は、共通の敵を作ることである。しかもその敵は強大で自分たちの存在を脅かすようなものではなく、弱者である方が都合がよい。

仮に100人の集団があったとき、敵の全くいない状態では内部分裂や、いつ自分がはみ出すかという恐怖感にとらわれ続ける。しかし、100人の中から1名の敵を作りだせば、残りの99人の結束は固まり、共通の敵がいない100人の集団だったときよりも安定感は高まる。つまり、押しくらまんじゅうのように、だれかをはじき出すわけである。哀れな犠牲者は残りの大多数の集団の安定のための人身御供となるわけである。

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沖縄で感じたこと

先週の沖縄への社員旅行は有意義だった。かの地が初めてだった私には、まだまだ知らないことが身近にあるのだという思いを強くした。

ガソリン価格

まず驚いたのはガソリンの安さである。那覇市内のスタンドの看板を見ると大体112円くらいと表示されている。東京ではまだ150円くらいかと思うが、この安さは異常である。なぜこのように安いのかを現地の人に聞いても、あまり明確な答えが返ってこない。実際に最終日レンタカーを満タンにしたとき、なんとリッター107円であった。それをレンタカーの社員に話すと、意外にも「本当ですか?」と驚いていた。なんで、地元でレンタカーという仕事をしているのに驚くのか不思議だったが、後で調べてみてその理由が分かった。

この夏以来、沖縄では過当競争により劇的にガソリン価格が下がっているようで、看板に112円と書いてあっても実際は今回のようにさらに安値だったるするそうだ。ついこの前まではレンタカー向けには本土と変わらないような価格を請求するぼったくりもあったそうである。それが最近の原油の価格下落と円高でガソリン価格が下がるのを見越して採算度外視で値下げ競争をしているらしい。

さらに沖縄のガソリンが安いのには別の2つの理由があるようだ。1つは1972年に本土復帰を果たした際、それまでとの価格差を埋めるための「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」というもので税金が安くなっているというもの。もう1つは沖縄に製油所があり、輸送コストが低いためというものである。

前者の税金に関しては、当初自分も何かしらの税優遇措置があると予想していた。しかし、その金額は意外にもさほどのものではなかった。この法律によると1リットル当たり7円優遇されてはいるものの、沖縄県として「沖縄県石油価格調整税条例」により、逆にガソリン1リットルあたり1.5円を徴収しているので、実質は差し引き5.5円優遇されていることになる。これだけでは107円という安さの根拠にはならない。そこに、精油所が近いということとおそらく輸送コストのうち賃金の安さなどが加わり、本土とはかけ離れた価格になるようである。

そこへ持ってきて、我々が旅行した時点ではスタンド間の過当競争が繰り広げられており、その勢いはレンタカーの社員も驚くほどだったということらしい。

沖縄の言葉

それとなく聞いたことはあるけれども意味はわからないという言葉が沖縄に行くとたくさん目につく。「めんそーれ」が「いらっしゃい」ということくらいしか知らない私には「ちゅら」、「かりゆし」、「うりずん」、「ゆいまーる」、「やんばる」など、まるで違う国の言葉のような感じがして、意味が全く想像できない。

そこで地元の人に聞けばわかるだろうと思って飲み屋のお兄さんに聞いた。この店は国際通りから少し入ったところにある家族経営の店。客引きの女性店員に「うちはオジーとオバーがやっているお店ですから」という誘い文句に惹かれて入ってみた。30前後の青年が仲居をしているが、入店してそこそこ、やおら三線を持ち「リクエストが入ったので4曲ほど歌います」といってこの青年から歌詞カードを配られた。曲はBiginだったり涙そうそうだったりと、若者っぽい曲が多かった。

歌ってくれた青年はきっと地元の人で、台所で料理しているオジーとオバーはきっと彼の両親か祖父母だろう。我々を誘い込んだのは彼のお姉さんか。さて、演奏もひと段落したときにこの青年に、「ゆいまーるってどういう意味? モノレールの名前もゆいレールというみたいだけれど」と問いかけてみた。すると意外な反応が返ってきた。

「さあー、どういう意味といわれてもうまく説明できないけど・・・」と口を濁し、台所の方を振り返ると「オバー、ゆいまーるってどういう意味かってお客さんが聞いてるんだけど」とそのまま店の奥に質問をスルーした。「なんだ、この青年、自分の地元の言葉もよく知らないのか」とあきれつつオバーならうまく説明してくれるだろうと期待した。が、それも大きく裏切られた。「さあー、今はほとんど使わないけれど何かおめでたい時に使うようなもので・・・これといった意味はないと思うけど」というような回答だった。地元のオバーも知らないんじゃしょうがない、仕方なく、「なるほどー、『おめでとう』みたいな意味なんすかねー」とゆるいフォローの返事をしたにとどまった。

しかし、後でネットで調べるとちゃんとした意味があった。ゆいまーるとは「結(縁)を廻す」つまり「仲間どうしが支えあう」という互助精神の意味だそうな。結いは結納の結いだから、なじみのある日本語である。モノレールをゆいレールとしたのは、地域を結ぶからという意味があるのだろう、納得。それにしてもなぜ地元の居酒屋の一家はこれが説明できなかったのだろうか。その酒場の青年が歌った「僕が生まれたこの島の唄を 僕はどれくらい知ってるんだろう トゥバラーマも デンサー節も 言葉の意味さえわからない」(島人ぬ宝 作詞/作曲:BEGIN)という歌詞の通り、先祖から受け継いだ言葉があまりにも身近すぎてお年寄りたちですらその意味を深く知らずにすごしてきているのだろうか。自分の立場に置き換えてみても、観光でやってきた西洋人に突然「禅の心とはナンデスカー?」などと聞かれてもうまく説明できないだろうし、「毛唐に和の心がわかってたまるか」などと腹の中で罵るくらいかもしれない。

後からだんだんわかった言葉として、「やんばる」は野原、「うりずん」は初夏を指す言葉で「潤い初め(うるおいぞめ)」、自分も持っている、りんけんバンドのアルバムタイトルでもある「カラハーイ」は羅針盤で、唐の針から来たらしい言葉。
また、語尾にサーがよく付くがこれは敬称で、例えばシーサーは獅子で「お獅子さん」という呼び方がシーサーになったのではないか。太郎さんをある地方ではタロサーというのと同じ。シーカーサーも、もしかするとシーカーという果物を敬称を付けてシーカーサーになったのかも。京都ではお芋をオイモサンと敬称をつけるし。(これは私の勝手な想像)
沖縄の方言が、それぞれ身近な自分たちの言葉とつながっているのを知って、違和感だらけだったこれらの言葉たちとの距離が縮まった。

泡盛

三日目に、少し時間が余ったので首里城そばの瑞泉の蔵元を訪ねる。中に入ると係りの女性が親切にPRビデオを見せてくれたり工場の設備を説明してくれたりした。意外だったのは泡盛の原料がタイ米だということ。前に何かで聞いた気はするが、その時はあまり深く考えなかった。そういえば「瑞泉」の工場に入るとき、1階の窓にタイ国のシンボルマークのようなものが張ってあるのを思い出した。彼女に聞くと、瑞泉の社長がタイの親善大使に任命されているとのこと。

いろいろ説明を聞いて納得した。元々タイから伝わった酒の蒸留技術に、黒麹菌を使うなど様々な工夫をして沖縄の酒、泡盛として成立した。沖縄の気候からすると、酒造りは灘や新潟ではなくタイ流の酒造りが適しているということ。日本のコメを使った、日本酒と同じ製法では気候が違いすぎてうまい酒ができないらしい。考えてみりゃそりゃそうだ。沖縄は日本本土よりも、タイやフィリピンとの結びつきの方が気候的にも文化的にも近いのかもしれない、改めて沖縄の地政学的距離感を感じた。

「瑞泉」にお邪魔する前、国際通りでタイ物産フェアのようなものをやっていたのを見たと案内の女性に話すと、当日はちょうど「瑞泉」の創立記念日でもあり、社長がその国際通りでのタイのイベントに出席しているとのことだった。ここではオリジナル商品の販売も行っており、第20回全国酒類コンクールでグランプリをとった酒をお土産に買っていく。

百名ビーチ

初日に沖縄本島の南部をドライブした折に、たまたま美しそうだったので「百名ビーチ」に降りた。海岸沿いを走ろうと海へ降りる道を下ったが道を間違えたらしく行き止まりとなった。ビーチまでわずかだったので車を降りて歩いて行った。すると、そのあたりには何か神聖な場所であるという案内板があり、ニライカナイがどうとか書いてある。さらに浜辺へ出ると、民族衣装を着た親子連れらしき3人が波打ち際に座して海に向かってしきりにお祈りをしている光景を目にした。何やらここら辺は神秘的な場所らしいと感じた。

彼らの拝む方向には、波打ち際からわずかのところに小さな石碑があり、同僚が「あれに向かって拝んでいるのかな」と言ったが、私はもっとかなたたとえば中国本土とかに向かって拝んでいるものと思っていた。後で調べると彼のいう方が正しかった。その石碑はヤハラヅカサ(ヤハラ=柔らかい、癒される、優しい)(ヅカサ=塚)というものだった。そこは琉球の祖先神アマミキヨが降臨したという神聖な場所だったのだ。思いもかけず興味深い光景を見ることができて幸運だった。

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