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新人研修

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私が社会人1年生だったのは1982年のことですからもう25年も昔のことです。そのころはようやくNECや富士通からパソコンが販売され始めてはいましたが、価格は驚くほど高く、まだ個人にとっては高根の花でした。

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当時、入社1日目から派遣先の富士ファコム制御(以下FFC)に出向していた新人の私に対して、新人研修などをしてくれる人は誰もいませんでした。同じ会社から出向してきているのは、半年前に入社したSさんだけで、彼にはほとんどコンピュータの知識がありませんでした。代わって我々の面倒を見てくれたのは、FFCのNさんという40歳くらいの中堅社員でした。

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しかし、Nさんは自分自身の業務が忙しく、我々に対して1からものを教えてくれるということはありませんでした。我々のような出向社員は元請けのFFCの人たちからは“外注さん”と呼ばれていました。そういった、他社の人間である外注さんに対して、元請けの人たちが懇切丁寧に新人教育をするわけがありません。ただでさえ、何の役にも立たない新人に1人月分の出費をしてくれています。その上に、身銭を切って教育してもいずれ自社に戻ってしまうわけですから無理もない話です。

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そんな入社したての我々に対して、FFCの担当者から指示されるのは、もっぱら第二原紙コピーかマニュアル読みでした。第二原紙コピーとは、まだコピーが高価だった当時、それに代わる手段として「青焼き」をとることを指します。トレーシングペーパーのような原図(これを第二原紙という)を湿式のコピー機にかけると、日光写真のように青っぽい1色のコピーがとれるというものです。コピーしたても紙はしっとりと濡れているので乾かしてからでないと鉛筆で書くこともできませんでした。私たちが使うマニュアルは、自分たちで原図から青焼きしたものでした。

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そして、第二原紙コピーのような雑作業がないときは、もっぱら“マニュアル読み”です。まずはコマンドリファレンス。当時は一人1台のマシン環境などは夢のまた夢ですから、机の上にはコンピュータなどありません。マニュアルを読んでコマンドの使い方を覚えろというわけです。しかし、マニュアルを見ても、わからない言葉が多いし実際に試すこともできず、すぐに眠くなります。我々にとって朝から夕方までひたすら“マニュアル読み”を指示されることは拷問に近いものでした。

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そんな苦しい作業からのがれて実際にコンピュータを使うためには、まず前もってマシンタイムを申請しなければなりません。これは、前の週に自分たちが使いたい時間を申請して、それを機械がランダムに割り当てられるもので、大抵一週間のうち2日、といっても1日当たり2時間ずつとれるのがせいぜいでした。申請者が多いときは週に2時間しか使えないこともあります。そして、ようやくマシンの前に座ることができても、コマンドの使い方を間違えてエラーなどが出るとわけがわからずマニュアルをひたすら調べますが、そうこうしているうちにあっという間にマシンタイムは終わりになってしまいます。こんなとき、見かねて他社の外注さんが助けてくれることもありますが、何とも情けないものでした。

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ですから、一週間のうち割り当てられた2時間、あるいは4時間といったマシンタイムを有効に使うために頭の中で動きを空想しながらひたすらマニュアルを読んだものです。最近、エアギターが流行っていますがこれはエアオペレーションです。また、プログラムに関しては実行前に必ず“机上デバッグ”を徹底的にやります。デバッグといってもマシンを使えるわけではなく、プログラムの動きを頭の中でシミュレートして思い通りの動作をすることを確認する作業で、これなどはエアデバッグですね。

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翻って現代では、一人1台のマシン環境はあるし、ネットで何でもすぐに調べられるので隔世の感があります。マニュアルなど昔は取り合いになったものですが、今はPDFなどで見たい時にいつでも見られるわけですから便利になったものです。そこへ持ってきて、業界トップクラスの技術を持った専任の教育係がつくわけですからもう鬼に金棒です。まあ、その分学習の速度も求められるかもしれませんので、何もかも楽になったというわけではないかもしれませんが、今のところこれ以上の環境はないと思いますのでそのあたりを理解したうえで新人研修に励んでもらいたいと思います。

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就職とは懲役40年?

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皆さんは就職するときにどのような感慨を持っていましたか?
ワクワクとして初めての社会人生活に期待を感じていましたか?
それとも小学校から中学、中学から高校、高校から大学へと進学するときと同じような感覚でしたでしょうか。

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私の場合はまったく希望というものがなく、お先真っ暗な状態でした。その理由はいくつかあったと思います。まずは、まだまだ学生として遊び足りなかったということ、そして別に入りたいと思っていた会社に就職できたわけではなかったというのがもう一つ、さらには、地元を離れて知らない場所で一人暮らしをしなければならなかったということも気分を憂鬱にさせていた要因だったと思います。

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私の場合、寺に住み込みの小僧として、一日の休みもなく3年間働かされ通して高校生活が終わってしまいました。「一日の休みもなく」といいましたが厳密にいうと、通っていた母校の比叡山高校が甲子園に出たときに1日応援に行かせてもらったこと、九州への修学旅行で5日間、盲腸で入院した一週間が休みらしい休みで、それ以外は盆も正月もなく働きましたし、一度たりとも帰郷を許されることもありませんでした。(親の顔を忘れかけました)

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そのような生活の後で専門学校に行きましたが、ここも意に反して遊べるような余裕はありませんでした。土曜日も授業があり、アルバイトとレポートで私の時間はほとんど埋め尽くされていました。本当は大学に行っていわゆるキャンパスライフを送りたいと思っていましたが、高校生活がそのようなことだったので受験もクソもなく、仕方なく専門学校に入ったのでした。しかし、そこは私のイメージしていた学生生活とは程遠いものでした。そうこうしているうちにしたくもないのに就職という現実がやってきたのです。

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高校時代は監獄に入っていたようなものだし、つかの間の学生生活の後に今度はやりたくもない仕事のために毎日働かなければならない。定年までだと40年余りという気の遠くなる時間を、何か自分以外のもののために費やさなければならない。まるで懲役40年の刑を食らったみたいだと正直思いました。

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そんな鬱屈した思いもあり、就職してまもなく中学時代の仲間とロックバンドのメンバーに加えてもらい、ド下手であるにも拘らず、平日はサラリーマン、土日は練習かライブという生活をそれから10年ほど続けることになりました。

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リーダーのギタリストが日大出身だったので、我々のメンバー達も日大のOB顔して音楽サークルの合宿に参加したり、合同ライブなどをやりました。そのような時の飲み会では、皆ベロベロになるまで酔っ払いましたが、大学生の友達を見て、「こいつらは朝まで飲んでも明日会社に行かなくていいし、学校休んで一日寝ていてもいいんだな」と大変うらやましく思いました。

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しかし、そのような後ろ向きな日々はしばらくの間で、だんだんと仕事が面白くなるにつれて学生時代よりもうんと充実した生活になってきました。また、次のようなことにも気づいてきたのです。

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なんといっても、学生時代は金がなかったが、社会人になると給料がもらえるし、学生バイトより割りのいい残業手当も出る。宿題やレポートはないし、学生時代よりも自由になる時間が取れる。朝はきちんと会社に行かなければならないが、学生はだらだらとルーズに時間を過ごしてしまいがちで、結局社会人のほうが有効に時間を使える。
ということで、サラリーマンとバンドマンの二束のわらじを10年にわたって履き続けることができたのです。

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今にして思うのは、学生時代というのはとても特殊なもので、親や社会がくれた特別な時間ということができるのではないでしょうか。人間の本来の生き方は、きちんと稼いで自分や家族を食わせていくことで、働かずに半分遊んでいても食べていける学生時代というのは、将来自立するために周りが援助してくれて成り立つ卵の殻に守られた状態(インキュベーション)のようなものでしょう。ただ、みな生まれたときからこのインキュベーション状態なのでそれが当たり前だと勘違いしているだけだったのでしょう。

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これは会社の新人でも同じことです。研修があったり、何も知らなくても先輩が懇切丁寧に指導してくれたり、売り上げに1円も貢献していなくても許されているのは、学生時代とおなじ理屈だからです。これがいつまでも続くと思ったら大間違いですし、仕事の面白さはこの状態を脱してからはじめて分かることだと思いますので、皆さんがんばってください。

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2008入社式

入社式で阿部社長がスライドを使ってスピーチをした内容のタイトルです。

第1部(市場規模とクオーレのポジション)
・ソフトウェア業界の市場規模
・GDPから見た各業界の市場規模
・年商別にみたソフト会社の数
・下請け脱却を目指す会社と目指さない会社
・クオーレのベクトル
・昇給について

第2部(経営者の考え方)
・勝ち組・負け組
・経営者とは
・困った社長のふるまい
・現場への影響
・よくある中小企業の経営者
・社長は何を見ているのか
・社長のプレイスタイル
・勝つためには
・収益の源泉

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