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エンディアン

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先日、新人教育で2進数の説明をしていた時に、この世界では必須のバイトオーダーの話題に触れました。しかしながら、久しぶりに説明しようとすると、インテルとモトローラCPUのどちらがビッグエンディアンでどちらがリトルエンディアンか、思い出すのにしばらく時間がかかりました。

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整理すればどうということはないのですが、16進数のlong型(4Byte)で0x02468ACEという値があった時に、データの並びが”02”+”46”+”8A”+”CE”となるのが主にモトローラ系で、逆に”CE”+”8A”+”46”+”02”となるのがインテル系となります。

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直感的にみると0x02468ACEを素直に”02”+”46”+”8A”+”CE”と並べるモトローラ系が当たり前のように感じます。私もこの世界に入ったころはPFU製のミニコン(U-1000シリーズ)を使っており、モトローラと同じバイトオーダーだったのでこの方式になじみがありますが、これは人間から見た見方です。しかしながらコンピュータから見ると、演算は下位の桁から実施するので、実はインテル式の方が処理しやすいのです。

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この2つの方式について、モトローラ式を桁の重みの大きい方から並べるのでビッグエンディアン、インテル式の方は桁の重みの小さい方から並べるのでリトルエンディアンといいます。

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ここに出てくるエンディアンというのは、みなさんよく知っている、英国のジョナサン・スイフトの小説「ガリバー旅行記」から由来しています。先日5歳の娘が図書館から借りてきて読んでくれとせがまれた中に、この小説の子供向け絵本版があり久しぶりに読みました。

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ガリバーが船で難破してたどり着いたのが小人国「リリパット国」で、同じく小人が住む隣国の「ブレフスキュ国」とは、卵を割る時にどちらの端から割るかで戦争にまで発展するという話が描かれています。この中で、卵を大きな橋から割る人々をビッグエンディアン、小さい端から割る人をリトルエンディアンと呼ばれ、バイトオーダーの方式の呼称としても使われるようになりました。

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ガリバー旅行記は子供のおとぎ話となることが多いですが、実は社会を風刺するもので、人間はこのエンディアンのようにどうでもよいことで対立し、殺し合いをする愚かな生き物であるということを伝えているのです。

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さて、コンピュータの話に戻ります。このエンディアンは、プログラムが特定のコンピュータのみで動作する場合には特に問題にはなりませんが、異なるエンディアン同士で通信をする場合には、データの送信順を決めておかないと大きな問題となります。

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私が24歳の頃、ある紡績工場の仕事でこの問題に直面しました。紡績装置は錘(すい)と呼ばれる軸に糸を紡いで巻き上げていきますが、この錘が紡績の出来高の単位となります。紡績装置はこの錘を保持するスロットが横にずらっと並んでおり、その数によって50錘機、64錘機などと呼ばれていました。我々の仕事は、紡績装置に取り付けてあるカウンターからシリアル通信でその出来高(錘の数)を読み取って集計することでした。

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カウンターは京都のM機械という会社が製造しておりました。M機械からは事前に簡単な通信フォーマットが送られてきていました。当時のことですからFAXでした。これをみると、日付や機械の号機番号に引き続いて、スロット毎の錘が交換された回数(つまり錘の出来高)が順番に並んでくることになっていました。

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仕様書をみるとその出来高はデータサイズが3バイトだったので、0から最大999までのデータが来ることになります。ある程度プログラムが出来上がった時点で、我々のチームからFさんが京都のM機械まで出張し、通信が正常に行えるかどうかのインターフェイステストをしてきましたが、その結果は特に問題なしということでした。

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その後、いよいよ岐阜の紡績工場で現地テストが始まりました。紡績装置との配線工事も完了し、プログラムの動作テストができるようになりました。しかし実際に通信を行ってみると、どう考えても異常な値が送られてきます。通信データがまるきりでたらめというわけではなく、日付などは正しく送られてきます。あれやこれや調査をしてようやく3ケタの数値がひっくり返って送られてきていることがわかりました。21という値のときは本来”021”となると思っていたところが、実際は”120”となってしまうのです。

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バイトをひっくり返して送ることについてM機械の担当者に問い合わせると、「そんなことは常識です」と回答されました。仕様書にはもちろんそのようなことは書いてありませんでしたし、データがひっくり返っているのは相手のバグだから当然M機械が修正してくれることと思い込んでいた我々は驚きました。

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そのうち、開発メンバーの誰かが「マイコンの世界ではバイトを逆に並べるのが普通らしい」ということを言い出したので、そんなものかと思いながら自分たちのプログラムを修正し始めました。我々の部長は、「Fは何をしに京都まで行ったんだ」と渋い顔をして言いました。おそらく、何かしらの値を受信出来たことで安心してしまい、データの正当性までチェックしなかったのでしょう。

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自分たちの住んでいる世界のことが「常識」と思い込んでいると、このようなことが起こります。互いのことを認めあわないと、まさに「リリパット国」と「ブレフスキュ国」のように対立を深めるばかりとなるでしょう。

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リーダーシップ精神を養う

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私は、20代から30代にかけて10年余りアマチュアロックバンドを演っていました。
楽器が弾けないのでパートはボーカル。おもにローリングストーンズのコピーなどのシンプルなR&Rで、最も盛んに活動した数年間はほぼ毎月ライブハウスで演奏していました。

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バンドを始めたきっかけは、中学の同窓会で2年上のギター好きの先輩から誘われたからですが、当時まだ社会人1年生で、派遣先が遠方の日野市ということで見ず知らずの土地に移り住んで独り暮らししていた私にとって、仕事はつまらないし周りに友人はいないしで、何かパットすることをやりたかったというのが正直なところです。

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それまで人前で歌うことはおろか、しゃべることすら苦手な私でしたから、最初は大変に戸惑いましたが、良い仲間にも恵まれてなんとかそれなりにこなせるようになっていきました。(その後、当時の人気番組「イカ天」にも出演することができました)

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バンド活動を続けてみて、これは非常に勉強になるなということがたくさんありました。ライブの当日までに曲を決めてそれを練習する、練習場所の確保やメンバーへの連絡、スタジオ代や衣装代などの経済的なやりくり、ライブハウスのオーナーとの折衝、観客の動員、さまざまな人間関係など。考えてみると、精神面、経済面、営業活動、人間の管理など様々な能力を要求されます。

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社会に出て4年で最初の会社の社長と喧嘩して辞めた時に、会社で教わったことよりもはるかに多くのことをバンド活動から学んだと、当時から強く感じていました。その後フリーになり、自分で会社を立ち上げたのも、こういった経験が大きく作用しています。

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さて、私はよく「リーダーシップ」という言葉を用います。仕事においても家庭においても、地域社会との関係においても「リーダーシップ」というものは重要です。この「リーダーシップ」は生まれながらに身に付くものではないと思います。私など元々は、「リーダーシップ」をまったく持っていなかったと言い切れます。だからこそ、積極的な心構えを意識して、自ら進んで「リーダーシップ」精神を養う努力をすることによって、人はいくらでも成長していけると信じています。

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「リーダーシップ」精神を養うのは、別段難しいことではありません。ちょっとした活動を自分でやってみるだけでよいのです。大切なのは飛び込む勇気と、失敗しても、それが当たり前だと思って腹をくくることだけです。

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なんでも、人が敬遠することをやってみてください。小さなことからでいいのです。考えてみるとたくさんあるはずです。飲み会の幹事、フットサルのマネージャー、PTAの役員、マンション管理組合、職場のQCサークル、SNSの管理人、などなど。

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こうしたことをやると、自然と実務能力がつきます。人が敬遠するのは人間関係のゴタゴタを嫌がるからでしょうが、どんな小さな活動でもゴタゴタを体験しストレスを感じるでしょう。しかし、それにはすぐに慣れます。人間同士が集まると何かしらトラブルが起きるのが当たり前だという、達観した気持ちを持って気楽に構えましょう。何よりもいけないのは、こうしたゴタゴタを恐れ、いつまでもそれを苦手と思って避けて生きていくことです。それによって発生する機会損失は、残りの人生が長ければ長いほど膨大なものとなります。

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この世の中に、自分よりも10倍も20倍も優れた人は滅多にいません。だから、誰がリーダー役を務めてもさほど大勢に影響はないと思って、進んでリーダー役を務めることです。すでに成功している人たちだって、抜きんでた能力があるというよりも、単に積極的な心構えを持っているということが大きな違いを生んでいるのです。

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徂徠訓

私ごとですが、一昨年から大学院のビジネススクールへ通っておりまして、今年の1月から修士論文の執筆で忙しく、マンデースピーチもお休みをいただいておりました。おかげさまで去る3月23日に無事卒業することができました。ご報告まで。

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最近たまたまWebで荻生徂徠の「徂徠訓」というものを見つけました。荻生徂徠は江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者です。

この「徂徠訓」は八カ条からなり、管理者の心得を説いています。「管理者の心得」というと堅苦しく感じますが、言葉巧みに人を都合よく動かすというような薄っぺらなものではありません。これまで曲がりなりにも人を雇用する立場で20年近くやってきた私から見て、実に意味深いものを感じます。

今日は年度の初めにあたり、当社も含めて世間一般の会社では大勢の新社会人がデビューしています。それと同時に、先輩社員たちは新しい後輩を受け入れるということでもあります。そのような日にあたり、この「徂徠訓」は丁度良いテーマだと思い、取り上げました。

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===== 徂徠訓 =====

一、人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて初めて長所のあらわるるものなり。
二、人はその長所のみ取らば即ち可なり。短所を知るを要せず。
三、己が好みに合う者のみを用いる勿れ。
四、小過を咎むる必要なし。ただ事を大切になさば可なり。
五、用うる上は、その事を十分に委ぬべし。
六、上にある者、下の者と才知を争うべからず。
七、人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨てるべからず。
八、かくして、よく用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり。

これらの言葉はそのままでも十分理解できると思いますが、わたくしなりに感じることを述べていきます。

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一、人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて初めて長所のあらわるるものなり。

優れた人材(我々の仕事では技術者)を簡単に採用できれば何の苦労もありません。しかし、人材というのはジグソーパズルのピースのようなもので、どこかからヒョイと連れてきてぴったりと望み通りの仕事をしてくれるなどということはまずありません。

自分の稼業の視点から申しまと、最初から即戦力となるような技術者を安易に求めるべきではないということです。まだ何も知らない未経験者をこそ雇用し育てていくべきであります。

新卒者の場合、その人の能力も将来性も未知数ですが、育てていくことによりその人その人の長所が見えてくるものです。またその長所は赤の他人ではなく、育ててきた先輩・上長だからこそ見えてくるものでもありますし、当然ながら短所も見えてくるわけです。

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二、人はその長所のみ取らば即ち可なり。短所を知るを要せず。

その人の短所をあげつらうよりも、長所を見てあげることが大切です。

しかし、そうは言いながらも重大な短所は根気よく注意深く是正する努力をすべきでしょう。

このあたりは武士道の精神を説いたことで有名な「葉隠」にも記述があり、三島由紀夫の「葉隠入門」では“批判の仕方”という項目で述べられています。意見をして人の欠点を直すことの大切さと難しさ、往々にして恥をかかせるだけの悪口となってしまいがちであるという、実に的を得た文章がありますので、また別の機会に紹介します。

自分から見てちょっと気に食わないな程度のことであれば、片目をつむって様子を見ることも大切です。我々のような中小零細企業では、社長をはじめとしてそんなに傑出した人材はなかなかおりません。大企業のように金にあかしてヘッドハンティングなどもできません。

中国の古典「水滸伝」では一癖も二癖もある悪党が108人集まり、それぞれの特徴を生かして自分たちの生きざまを世に知らしめて行くという物語がありますが、うちの会社もそういうような「梁山泊」であればよいと思っています。

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三、己が好みに合う者のみを用いる勿れ。

自分にとって使いやすい人ばかりを重用するなということです。人は誰でも間違いを犯しますが、周りにそれを指摘してくれる人がいないと大失敗をします。

耳の痛いことをあえて言ってくれるような部下はとても大切です。また、それを聞き入れる度量がなければそのような部下は離れていきます。

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四、小過を咎むる必要なし。ただ事を大切になさば可なり。

過ちは誰にでもありますし、組織の責任者、経営者も例外ではありません。細かいミスは見て見ぬふりをするくらいで丁度よい、また、それが何かをなそうとしてチャレンジした結果の失敗であればなおさらです。

頭ごなしに叱ってはチャレンジ精神の芽も摘み取ってしまうでしょう。上に立つ者は、小さな疵にはこだわらずに大筋で成功すれば良しとする感覚が必要です。

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五、用うる上は、その事を十分に委ぬべし。

以前に「任せるということ」で話しましたが、上は部下を信用して任せ、任せたからにはあれこれ口を挟まない。そして、失敗したら自分も一緒に泥をかぶる覚悟を持てば、部下もきっとそれに答えてくれる。ということです。

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六、上にある者、下の者と才知を争うべからず。

上に立つ以上、知識や経験は下の者以上にあるはずですし、まして経営者となるとより優れているはず、と言いたいところですが、その是非はここでは問いません。

それよりも、なまじ自分が優秀だと思っている人はとかく張り合いたがります。それがたとえ部下であっても容赦しない人がいます。こういった人には優れた部下がついてきません。

相撲の世界では、先輩よりも番付が上になることを「恩返し」といいます。たとえば、子供が親である自分よりも出世して医者になったり大学教授になったりしたら、親はそれを自慢することはあっても嫉妬を感じる親はまずいないでしょう。(親子で同じ仕事をしている場合は別ですが)

上に立つ者として、常に自分が一番であるよりも、自分よりも優秀な部下を何人育てたかということに喜びを感じるようでなければなりません。子供がはじめて絵を描いた時に、その絵を下手だと言って貶す親がいるでしょうか。

私が最初に勤めた会社の社長も自信満々の技術者で、社員とくだらないことでも張り合う人でした。私はこの社長とストックフォーム(当時良く使われていたコンピュータ用の連続用紙)の切り方で口論となり競争をさせられたことがありました。そして、社長は自分のほうの旗色が悪くなると、ごちゃごちゃと理由をつけて勝負を途中で放棄したのですが、私の心に残ったのは、「こんなちっぽけな奴に俺の人生を左右されてたまるか」という反発心だけでした。

上に立つ人は、当然指導もしなければならないので難しいかもしれませんが、多少頼りなく見えるくらいでもいいのかもしれません。うちの場合は本当に社長が無能なので、見かねて皆が助けてくれているのが実情ですね。

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七、人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨てるべからず。

品行方正でどんな仕事もこなすという、ワイルドカード的な人物はまずいません。一つ飛びぬけた才能があると、その反面大きな瑕もあったりするものです。

会社というのは限られた経営資源(人・モノ・金)で組織を構築していくもので、理想はこうあるべきという“べき論”をいくら言っても始まりません。今いる人材をいかに活用して最大限の成果を達成するかが、その人たち自身のリターンにもなるわけです。

批判ばかりしていては何も得られません。ひとり一人異なった癖をもっているのが人間ですから、それを受け入れて生かしていくことが実務上大切です。

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八、かくして、よく用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり。

ここはわが身も省みずに偉そうに言います。
人材がいないと言って嘆く経営者は多いと思いますが、そういう経営者に限ってこれらのことをまるで実践できていないのではないでしょうか。部下を力で抑えつけようとしたり、自分を批判することを許さなかったり、自分が一番でないと気が済まなかったり、等など。

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人に使われるのも大変ですが、人を使うのもこれまた大変です。今回の話でお互いの立場を少しでも理解して、今後の役に立ててもらえれば幸いです。

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