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マウスは設備か

前にハード屋とソフト屋、ソフト屋同士でのコミュニケーションのギャップについて話しましたが、同じような話題です。

ある公団のシステムを担当していたときのこと、その日は納入したシステムについてお客様からのクレームを色々とヒアリングしに行った。

ヒアリングの相手は年配の現場のオペレータだった。普段はこのような現場の人と直接話す機会はなかなか持てないので、貴重な意見を聞くことができた。例えば、ハードの配線ミスか、ソフトのデータ設定ミスかは分からないが、ディスプレイパネルに表示される内容が2つの表示器間で入れ違っていることが現場の人間同士では以前から知られており、そのデータは入れ違っているという申し送りが現場では行われていた。つまり、不具合を修正せずそのままの状態で運用していたことになる。このような問題が現場から管理者に、そして我々開発側にスムーズに伝わらないという現実を知ることができた。

現場のオペレータは我々に問題点を話しているうちに妙に興奮してきた。最初は寡黙で、ポツリポツリという感じで話していたのが、自分でクレームを挙げているうちに、何か自分は怒らなければならない立場なのだ、怒っている態度をとるのがこの場合はふさわしいのであり、自分はそれを実演する義務があるのだという暗示にかかったかのようであった。

確かにパネル表示の問題は正すべきものであり、クレームとして怒りと共に開発側に向けられても仕方のないものであったが、話が一通り済むとそのオペレータは自分の着地点を見失ってしまった。そこで話を終わらせてしまうには勢いがつきすぎていたのである。

そのオペレータは自分の強硬な態度に見合うだけの数のクレームを探し出さなければならなくなったようである。そして、自分の仲間がかねてよりマウスの調子が悪いと訴えているという話を持ち出した。

そこで我々はその人の席に案内してもらい状況を確認した。彼もまた、先のオペレータと同じくらいの年配者であった。話を聞くと、マウスの調子が悪いというのはつまり、ボールにごみが付着して回転が悪くなるというしごくあたりまえのとこであり、そのようなことを大げさにいう彼らにも少々あきれたのだが、それでも丁寧に説明を試みた。「ここを回せばふたが開きますので、ごみを定期的に掃除してください、専用の掃除器具も文房具店とかで売っていますよ」などと話したと思う。

すると、彼らはまじめな顔で「我々はそのような教育を受けていないので、勝手にふたを開けるような行為はできません」と言ってきた。そのときは、どういう意味なのかよく理解できなかったが、どちらにしても問題として取り上げるようなことではないということはお互いに分かっていたので、要は現場の声に耳を傾けましたという形ができたということでお開きとなったと思う。

このときの“教育”という言葉が今でも引っかかっている。我々技術屋は、マウスなどはシャーペンのような文房具として見ているが、彼らにとっては大切な機器の一部であり、数億、数十億かけて導入したハイテク設備そのもの(の一部)であるから、それを独断で分解するというのはとてもできないことなのかもしれない。そう考えると、マウスを文房具として考えている我々の方が必ずしも正しいとは思えなくなってくる。このように愚直なまでにルールを守ろうとする姿勢も、安全を維持するためには必要なのかもしれないと思ったりするが、それにしてもマウスごときでという気持ちも捨てきれず、どうにも複雑な気持ちにさせられる。

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サイパンでのボランティア-2/2

さて、毎年のように中学生から高校生まで、男女ともほぼ同じ人数の生徒たちと生活を共にするような活動を続けていると、日本の子供たちの姿もなんとなく時系列で見えてくるものです。大雑把に言うと、年を追うごとに子供たちの態度が冷めてきているというのか、白けてきているような気がいたします。20年前ですと、中高生が海外旅行にいけるチャンスが今ほどはなかったということや、TVゲームやインターネットにふけって家から出ないというようなこともなかったせいでしょうか、当時の子供たちはとても快活な印象がありました。「引きこもり」などという言葉はまだまだ一般的ではなかった時期です。

この頃の子供たちは、バスの中でも現地の子供たちとすぐに打ち解けて一緒に歌をうたったり、珊瑚礁の美しい景色を見れば素直に感動して歓声を上げたりしていました。そして、ホームステイに行くと受け入れ先の家族(ホストファミリー)と大変に仲良くなり、帰国の際には空港に見送りにきたホストファミリーと別れを惜しんで大泣きしている姿が良く見られました。

そのような光景を見ると、ボランティアであるわれわれも素直に良かったなと思います。私などは実際にイベントが行われる現地での活動しかお手伝いしていませんが、そのための準備として数度に渡る日本での勉強会、食料品、土産物、燈篭流しの材料などの調達などをしてきた人たちは本当に報われる思いがしたものです。

それが10年程前から少しずつ変化してきたように思います。海へ行けば、はしゃいで遊ぶ子供もいますが、中には砂浜に座り込んでポケットゲームをしていたり、明らかに免税店でブランド物を買うことが目的と思えるような子供がいたりして、全体に活気、明るさ、感動といったものが失われてきているように思えます。

ボランティア側であるわれわれも、毎年毎年同じことをやっているので次第に慣れるというか、感動が薄くなることも確かにあるでしょうが、どうも年々このような傾向が高まっているように感じています。

そしてもうひとつ、全般に男の子の元気が足りないように感じます。女の子はなかなか快適とはいえないスケジュールや住環境の中、それでもどこかこの旅行を楽しんでいるように見受けますが、男の子はどこか無気力で疲れていて無感動な印象を受けます。もちろん、これは傾向なので例外の子もたくさんいます。

しかし最近同様のことを感じますのは、新卒の採用に当たって就職希望の20歳前後の若い人たちと話しているときです。どうもやはり女性に比べて男に元気が無い。10年前の子供たちに対して感じていた傾向が、年齢が上がってついに就職活動をする世代に持ち上がってきたようです。

理由はいろいろ考えられますが、一番は家での父親の存在感、威厳が失われているということではないでしょうか。対して女性は昔ほど結婚しろとか子供を生めといわれることも無くなり、社会での男女差別も着実に解消してきています。生物学的にも弱く、もともと多くの義務を負っていた男性が、かつては手厚くその優位性を確保されていた社会の価値観が崩壊したことにより逆にハンデばかり負うことになり、家事や育児といった労働や因習から開放された女性が、相対的に強くなってきているのでしょう。

もうひとつ、親の世代の変質ということも見逃せません。この慰霊法要に参加する子供たちは新聞広告を見て応募してきます。参加条件として、作文などによる書類選考がありますが、選出された子供は無料でこの旅行に参加できるので、いわば無料招待されるわけです。これを近所の商店街の抽選会に当たったというようなつもりでいる親がいることが残念でなりません。この活動には相当のコストがかかっていますが、費用を持ち出しで行うというのが主催者のポリシーです。しかし、そうは言っても潤沢な資金があるわけではないので、参加するご家庭に対して、いくらでも結構ですから“お布施”を頂戴できれば幸いですといった案内を出すと、「タダで連れて行ってくれると言っていたのにどうして金を請求するんだ」と文句を言ってくる親がいるそうで、常識を疑う話です。もし知人が、自分の子供を一週間海外へ連れて行ってくれて、食事からなにから一切合財面倒を見てくれたとして、何の御礼もせずに済ます親がいますか? こんな親がいるから子供も勘違いしてしまいます。また、十代の子供に身分不相応な小遣いを渡す親や祖父祖母がいるようですが、これもズレた話しで、子供はそのお金でブランド物を買いあさっているわけですから、この活動の趣旨といったものをまったく理解していない家族といえます。

さて、このような活動は会社ではなかなかできませんが、いろいろな体験を通して国同士や人と人との関わり、子供たちを通した家庭の様子などを知る、私にとって大変に貴重な場となっています。

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サイパンでのボランティア-1/2

お盆の時期になると毎年サイパンへボランティアに行くのが恒例ですが、このボランティアに最初に参加したのはかれこれ20年前のことです。
(とはいっても、この2年ほどはお休みさせて頂いていますが)

このボランティアは、三宝筵(サンポウエン)青少年慰霊法要使節団ともうしまして、天台宗の栢木寛照師が主催しているもので、大東亜戦争で戦死した戦没者のために慰霊法要をするのが目的で、もう30年ほど続いています。新聞で公募した中高生40人から、多いときで50人ほどの子供たちを、夏休みを利用してサイパンへ引き連れていくのです。

現地では慰霊法要はもちろん、サイパン市長、知事への表敬訪問などにより現地の人たちとの交流計りますが、特にホームステイでは現地の子供たちや家族と密接な時を過ごすことになります。これらの活動はみな栢木師の私財を使って運営されており、参加する子供たちから費用を徴収することはありません。

また、冬になると逆にサイパンの子供たちを日本に招待し、長野の善光寺と京都を拠点として交流を行うというイベントも行っています。

私はどのようなお手伝いをしているか言うと、2日ほど前から別のリーダーと二人で現地に入り、サイパン市役所やマリアナ連邦知事たちとイベントのスケジュールの調整等を行い、宿泊先となる現地の中学校(ススペ市にあるHopwood Jr. High Schoolという中学校)の教室をご好意により何部屋か借りて布団を敷き、自炊のための整備をしたりします。また、現地で行われる大きなイベントである燈篭流しの準備や、慰霊法要のコースの確認をするのが例年の準備作業です。そして実際にこのツアーが始まると、子供たちの引率、通訳、食事の用意、市役所から誘われて一緒にゴルフコンペをしたり、ボランティアと市長や知事との会食など、ほとんど休む暇がありませんし、灼熱の暑さの中でこれらの活動をした後は、夜は中学校の教室でマットレスを敷いただけの布団で寝るという毎日で、なかなか大変なものです。

サイパンでは先の大戦で多くの日本兵、現地に移住していた民間の日本人、もちろん米軍人、現地の人たちなどの多くの命が失われました。これらの霊に対して法要を営むわけです。多くの日本の民間人が投身自殺を遂げたバンザイクリフ、スーイサイドクリフといった断崖や、日本軍最後の司令部跡などでお勤めを行います。

ほんの60年前に戦争という悲劇の中で多くの人命が失われたわけですが、サイパンといえば今では観光地としてしか認識していない日本人の方が多いのではないでしょうか。すっかりリゾートと化したサイパンでは、今でも当時の戦車や高射砲などが残っていますが、これらの前で楽しそうに記念写真をとっている日本人観光客には、かつての出来事など気にもとめていないようです。人づてに聞いた話ですが、このような日本人の振る舞いに対して、「逆の立場だったらとてもこのような場所に遊びで来ることなどできない」と戦勝国側である米国人ですらそう言っていたそうです。

地理的にはサイパンの他に、原爆を落とした爆撃機が飛び立ったことで有名なテニアン島、ロタ島などを含めて北マリアナ諸島呼びます。グアム島も近いですが、北マリアナの中には入りません。これらの島の住人はチャモロ人とカナカ人という人種に大別できます。いわゆるポリネシアン系なので、日本人にも多少その血筋をひいた人がいるのではないでしょうか。

多くの日本人はサイパンの事をあまり良く知りませんが、サイパンでは日本がとても関係の深いものとなっています。現地人のお年寄りの多くは日本語を話せるので、ホームステイに行った子供たちが驚いて帰ってきます。それもそのはず、戦前は日本がサイパンを信託統治していたので、それらのお年寄りは若い時に日本人が教える学校で学んでいたからです。また、チャモロの人たちの中に妙に日本人ぽい顔をした人がいるかと思うと、その人のおじいさんが日本人だったりします。当時は多くの日本の民間人もサイパンに日本人街を作って居住していたので、現地の人と結婚した日本人も結構いたようです。こちらはそれほど思っていないのに、向こうはいつも思ってくれている、日本とサイパンはそんな関係のように思います。

チャモロ(カナカ人も含めて)の人たちは一般にとても親切でフレンドリーです。以前は道路に信号が無かったものですから、横断しようとして道端に立っていると、車は必ずハザードをつけて止まってくれたものです。最近は信号も整備され交通量も増えたので、このような光景は余り見られなくなりましたが、ついこの間私が横断しようとした時も、はるか向こうのほうから来る車が早々とハザードをつけて徐行して来てくれたので、大変うれしくなりました。

例年あちらへ行くと市長をはじめ市役所の人たちと接する機会を多く持ちます。そのようななかでも、前市長のサブランさん一家とは今でも家族づきあいをしています。実は昨日も前市長の奥さんとお会いしてきたところです。彼女の娘が日本人と結婚して埼玉に住んでいますが、このほど孫が生まれたので面倒を見にやってきたのです。うちの2人の娘のことも自分の子供か孫のようにかわいがってくれますが、チャモロの人は男性も女性も大概子供好きです。小さな子供を連れて現地のレストランに行くと、当然ながら子供が大騒ぎして走り回ったりします。それでも店員が楽しそうに子供の相手をしてくれたりしますので、日本で肩身の狭い思いをしている親にとってはとてもありがたいところです。

サブランさん夫妻も勧めてくださるので、我が家では子供が小学生くらいになったら夏休みの間向こうへホームステイさせようかと思っています。私も子供の頃よく母親の実家に何週間も預けられましたが、自然やいろいろな人たちと触れ合うとても貴重な体験だったと思います。私たち夫婦は両方とも東京生まれなので、サイパンが子供たちにとっての田舎のようになればいいんじゃないかなと思っています。

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