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20170108

日常の忙しさに時の過ぎるのを忘れているうち、瞬く間に年末となりそして新たな年、2017年がやってきました。
今年も無事に1年を過ごすことができたことを感謝しています。

大みそかの夜は近所の氏神様にお参りに行きました。12時少し前だったので参拝客も行列を作って日付が変わるのを待っておりました。まもなく12時という時間になり、すぐ後ろの山上にある池上本門寺から大勢の人たちのカウントダウンの声が聞こえてきました。3、2、1、ゼロと声が上がった瞬間に本門寺の大鐘がゴーンと響き渡り、ああ、ことしも明けたなーと感じました。

毎年毎年、年を越すたびに「ああ、無事に年を越せてありがたい」と感謝するのですが、それも当たり前になってきて、慣れてしまい本当に心の底からの感謝というのとは違ってきているなと、自分の心を見てそう思うのも事実です。

そんな折、自宅のリビングで家族でテレビを見ていた際、たまたま録画装置に保存してあった過去の子供たちの様子を撮りためたビデオを見つけて久しぶりに再生してみました。まだベビーカーに乗っていた頃、七五三の様子、海外旅行での思い出など、子供たちの成長と親たちの変化(老化現象および体形の変化とか)もダイジェストで思い返すことができてとても楽しい時間を過ごしました。

こうして普段忘れていた過去の幸せな時間を第三者的にビデオ装置という文明の利器によって見返すことができるというのは、現代人の特権ですね。
そして、こうした映像を見て聴いて、自分は何と恵まれた幸福な人間なんだろうという言い知れぬ感謝に胸が熱くなります。年が明けたからなんとなく目出度い、というようなマンネリな感覚ではなく、本当に自分は恵まれているんだ、ということをひしひしと感じます。

こうした心の満足というものは、ただ金品を手にしたり、地位を獲得したりということの他にもっと本質的な幸福というものに他ならないと思います。

 

 

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2017年1月8日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:雑記

20170101

明けましておめでとうございます。関東地方は穏やかなお正月となりましたが、皆様の地域はいかがだったでしょうか。「一年の計は元旦にあり」といいますが、若いころはこの言葉にあまりピンと来ていませんでした。なぜなら、10代、20代のころの自分にとっては1年というのはとても長い時間であり、1月1日に何か目標を定めたところで1年間という長い間その目標を持ち続けるということに現実味が感じられなかったからです。
しかし、年齢を重ね30代、40代、あるいは50代を過ぎてくると、1年というのがあっという間に過ぎ去るものであると実感するようになります。すると、1年前のことがつい先日のように錯覚することもままありますから、1月1日に何かしら目標を立てて、1年ごとに振り返るというのがそう長いスパンではなくちょうど良いインターバルのように思えてくるわけで、この言葉の意味もそれなりに「ああ、確かにそうだなん」と腹に落ちてくるのであります。

さて、そんなわけで私なりに昨年は「信念」というものを自己の心を作り上げる目標としておりましたが、今年は「勇気」をその次の目標として1年間掲げて行こうと思っております。
「勇気」それは誰にでもあるものですが、人によってあるいは同じ人でも時と場所によりその「勇気」の発現する度合いが異なってきます。若いころは向こう見ずで怖いものなどなかったのに中年を過ぎてからどうも臆病になったとか、独身の頃は矢でも鉄砲でも持って来いというくらいな強い気持ちだったのが、所帯を持った後ではどうも経済的なこととか健康面のことなどが気にかかり、なんだか人間のスケールが一回りも二回りも小さくなったように自分次人が感じられたりするというのは多くの人が経験することでしょう。

少年のころ好きだったマンガで、空手家の生涯を描いた「空手バカ一代」というものがありました。この漫画で語られる大山倍達という実在の人物の生き様に少年たちは胸を熱くしたものです。この大山倍達がまだ少年のころに近所の武道家に武術を習うというシーンがありました。その先生が目の前の大きな木を指さして曰く、「あの木の枝をお前の飛び蹴りで蹴って見ろ」。しかし、その木の枝は誰がどう考えても倍達少年には届かない高さであり、彼がどれほどの運動神経を持っていたとしても100%不可能です。
しかし、倍達少年は言われた通りその木の枝に向かって跳躍しチャレンジします。当然ながら足ははるかにその枝には届きません。しかし、この先生はその倍達少年に対して、「それでいい、できるかできないかを考えるのではなく、まずはやってみるというその姿勢が大切だ」と 褒めるのでした。この話はもう何十年も前に読んだものであり、それ以来再度読むことなどもなかったのに、なぜだかこのシーンが未だに私の脳裏に焼き付いています。

人間は年を取り経験を積むことで次第に臆病になっていくのかもしれません。また、一般に頭が良いといわれていて学校の成績の優れた人の方が冒険ができずこじんまりした人生で終わるようなケースが少なからずあるという気もします。
私も今年で55歳となり一昔前なら定年となる歳ですが、気持ちは少年のころと全く変わっていません。まだこれから人生の始まりという気持ちで「勇気」を持って人生に勇往邁進していきたいと思っています。

<元日にお参りした池上本門寺の様子です>

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池上本門寺仁王門 池上本門寺本堂

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2017年1月1日 | コメント/トラックバック(0) |

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今日は仕事納め。会社では大掃除をして夕方から納会を行いました。

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2016年12月28日 | コメント/トラックバック(0) |

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休みをいただいて、22日、23日と今シーズンの初スキーに行ってきました。

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2016年12月25日 | コメント/トラックバック(0) |

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20161218

今週の後半は、私が社外取締役をさせていただいている株式会社蓮葉の忘年会で、滋賀県に行ってきました。

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琵琶湖から望む比良山 高校時代一緒に小僧生活をしていた上原行照大阿闍梨が住職をしている伊崎寺。琵琶湖に突き出た棒の先から飛び込む荒行「棹飛び」で有名です。

 

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2016年12月18日 | コメント/トラックバック(0) |

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20161211

今週の後半は、沼津に2泊3日で出張でした。

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狩野川の河口から見る富士山 沼津城本丸跡

 


 

私の父の友人で、山蔭神道の神官であり中村天風師、植芝盛平師の弟子でもあった佐々木の将人師のお言葉を紹介します。

「戦争の原因は宗教にあるのか?」と聞かれた佐々木師、それに答えて、
「といっても過言ではない。自分のかけているメガネのレンズが自分に合うからといって人に押し付けるようなものだ」
とおっしゃっています。

戦争に限らず、日常の些細なことでも自分の価値観を人に押し付けてしまうことの戒めとしたいですが、信念を持つということは人生において何よりも大切なことでもあります。自分の信ずるものを他人に無理やり押し付けることは慎めということでしょう。神道というものは宗教と違い、全てをあるがままに見る。何事も否定せずまた妥協もしない。すべてあるがままに大肯定する。大きなものも美しいものも汚いものもありのままに写す鏡のような心になることが神道だと佐々木師はおっしゃっています。
「清濁併せのんで清を出す」ということだそうです。

 

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2016年12月11日 | コメント/トラックバック(0) |

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マルコムxの言葉

「もし君を批判するものがいないなら、君はおそらく成功しないだろう。」

If you have no critics you’ll likely have no success.

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2016年12月4日 | コメント/トラックバック(0) |

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20161127

24日から26日まで福岡出張でした。

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福岡の「やまちゃん」は地元でも有名店 すっかり修復された福岡駅前の道路陥没現場

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2016年11月27日 | コメント/トラックバック(0) |

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仕事でお伺いした先でのショット。

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2016年11月20日 | コメント/トラックバック(0) |

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20161113

11日は来年の新人5名の歓迎会を行いました。若い社員が増えるというのは組織に活力がチャージjされるので来春が楽しみです。

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2016年11月13日 | コメント/トラックバック(0) |

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