第1章は多くの人が恐れる死、そして対となる生が主題。
死んだ後というのは生まれる前の状態に戻るだけだから恐れることではない、というご意見は私が以前から思っていることと一致していたので、答案でマルをもらったような気分。
死を恐れる時間があったら生きていることを喜ぶ時間に割り当てなければ勿体ないですね。
天風先生の奥さまのご臨終のときの様子は初めて聞く話で感動しました。さすがです。
以前健康診断で胃カメラを飲んだ時は、その苦しさとカメラを自力で排除できず差し込まれるに任せるしかないという不可逆的な状況に、NETFLIXで見たキケロ剣で刺し殺されるシーンを思い出し、死ぬ時はこんな感じかなと想像しました。
死んだ後のことは恐れませんが、死ぬときにどんな苦痛を味わうのかというのは想像するだけでも嫌なものです。
今日も私が通っている居合の道場で、稽古中に私が刀を中途半端に振り下ろしているのを見た師範が、「それじゃ相手の肩口を切って苦しませるだけだからもっと下まで切り下ろして楽に死なせてあげましょう」とにこやかに指導してくれました。それはいいのですが、自分が逆の立場ならどうだろうかと考えて怖くなってしまうのでした。
メメントモリ(死を思え)という言葉がありますが、常に死を恐れろということではなく、死を思うことで「生きていられるだけで幸せだ」と気づいて感謝しろという意味としてとらえたいですね。(本来の意味がどうであるかは別として。)